落語では、古今亭志ん生が出たとこ勝負で話していたようだ。本人も、噺のマクラでよくそう言っている。
たぶん、噺の大筋、キモだけは押さえておいて、後は高座にあがってから即興で噺を組み立てていったのだろう。
だから、同じ噺でも、録音によって、出てくるエピソードも、クスグリも(ついでに、出来も)違う。
出たとこ勝負を支えるだけの、リズム感、流れを把握するセンス、大量のフレーズ、ギャグを放つ瞬発力、そして度胸が備わっていたのだと思う。
古今亭志ん生の噺の高揚感、グルーヴ感は、とにかく凄い。
聞いた人のない方には、一度、聞いてみることをオススメします。
よく言われるけれども、反対なのが同時代の八代目桂文楽で、同じ噺の流れに同じクスグリ。体操的である。
出たとこ勝負の凄さといえば、ジャズピアニストの山下洋輔もそうだ。
まわりの出した音、自分の出した音に触発されまくる。そこから叩き出す音は、たとえゆっくりしたバラードでも、高揚感がある。
ジャズというのがそもそも、そういうものだろうけれども、山下洋輔の場合、ヒジ打ち、ヤンチャな鍵盤叩き、低音部から高音部まで早打ち0.3秒の駆け上がり、一転してオーソドックスなフレーズと、自由に繰り出す。
自分が身につけているものを道具にして、その瞬間、瞬間の音に触発されて、プレー=遊びまくる。その自在さがあれだけの生命力を感じさせるのだと思う。
なんだか、文章作法というより、マイ・フェイヴァリット・ピープルの話になってきたな。
芸能人だと、明石家さんまが出たとこ勝負の人だと思う。
明石家さんまは特にこれといったギャグを持たない。自分のオモシロ話をするのも、実はそんなに得意ではないようだ。
しかし、相手の話を出たとこ勝負で面白い方向へ持っていくのは、やたらと上手い。明石家さんまが長い間、高い人気を誇っているのは、相手に対する瞬発的な反応を繰り返して、高揚感を生み出していくからだと思う。
何だか、凄い人達の名前ばかり挙げたけれども、もちろん、わたしを並べようというわけではない。
ただ、やり口は同じ方法をとっている。とにかくガンガン、勢いで書いてみる。自分の書いたことに触発されて、次の文を書く。
ある種の高揚感のある文章が書けたら、その日は成功。そうでなければ、失敗だと思っている。ヒットの裏返しには凡打があるのだ(打率は知らんよ)。
なんつーか、ガッと来たらビュッとやってバーン。ドバダバ・ディバドゥバ、パカラカカッと、こう行きたいのだ。