わたしの文章作法〜その四

 落語では、古今亭志ん生が出たとこ勝負で話していたようだ。本人も、噺のマクラでよくそう言っている。


 たぶん、噺の大筋、キモだけは押さえておいて、後は高座にあがってから即興で噺を組み立てていったのだろう。
 だから、同じ噺でも、録音によって、出てくるエピソードも、クスグリも(ついでに、出来も)違う。


 出たとこ勝負を支えるだけの、リズム感、流れを把握するセンス、大量のフレーズ、ギャグを放つ瞬発力、そして度胸が備わっていたのだと思う。


 古今亭志ん生の噺の高揚感、グルーヴ感は、とにかく凄い。
 聞いた人のない方には、一度、聞いてみることをオススメします。


 よく言われるけれども、反対なのが同時代の八代目桂文楽で、同じ噺の流れに同じクスグリ。体操的である。


 出たとこ勝負の凄さといえば、ジャズピアニストの山下洋輔もそうだ。
 まわりの出した音、自分の出した音に触発されまくる。そこから叩き出す音は、たとえゆっくりしたバラードでも、高揚感がある。


 ジャズというのがそもそも、そういうものだろうけれども、山下洋輔の場合、ヒジ打ち、ヤンチャな鍵盤叩き、低音部から高音部まで早打ち0.3秒の駆け上がり、一転してオーソドックスなフレーズと、自由に繰り出す。
 自分が身につけているものを道具にして、その瞬間、瞬間の音に触発されて、プレー=遊びまくる。その自在さがあれだけの生命力を感じさせるのだと思う。


 なんだか、文章作法というより、マイ・フェイヴァリット・ピープルの話になってきたな。


 芸能人だと、明石家さんまが出たとこ勝負の人だと思う。


 明石家さんまは特にこれといったギャグを持たない。自分のオモシロ話をするのも、実はそんなに得意ではないようだ。
 しかし、相手の話を出たとこ勝負で面白い方向へ持っていくのは、やたらと上手い。明石家さんまが長い間、高い人気を誇っているのは、相手に対する瞬発的な反応を繰り返して、高揚感を生み出していくからだと思う。


 何だか、凄い人達の名前ばかり挙げたけれども、もちろん、わたしを並べようというわけではない。


 ただ、やり口は同じ方法をとっている。とにかくガンガン、勢いで書いてみる。自分の書いたことに触発されて、次の文を書く。
 ある種の高揚感のある文章が書けたら、その日は成功。そうでなければ、失敗だと思っている。ヒットの裏返しには凡打があるのだ(打率は知らんよ)。


 なんつーか、ガッと来たらビュッとやってバーン。ドバダバ・ディバドゥバ、パカラカカッと、こう行きたいのだ。


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