何年か前に「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本がベストセラーになった。
うまいタイトルをつけたものだと思う。
わたしは、幼少の頃、お釈迦様か天才バカボンのハジメちゃんかと噂されるほどの神童だった。
母親の胎内から出てきたとき、東西南北に七歩ずつ歩み、右手で天を、左手で地を指して、声高らかに「これでいいのだ!」と宣言したという。
しかし、泥だらけになって遊ぶのが面白すぎて、「人生に必要な知恵は幼稚園の砂場ですっかり忘れてしまった」ため、今、こうしてすでに“余生”とでもいうべき時間を送っている。
なので、上記の本は読んでいない。読んでいないが、うまいタイトルだとは思う。
何たって、さじ加減がいい。
例えば、これが、「人生に必要な知恵はすべて義務教育で学んだ」では、随分、狭量な人物に思えるし、「人生に必要な知恵はすべてジャングルで学んだ」では横井庄一さんか小野田さんである。
幼稚園の砂場、というところがミソだ。まず、「幼稚園の」という言葉が、わかりやすい本だということを示唆している。
しかし、幼稚園なら何でもいいかというと、そうではない。
例えば、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園のお遊戯で学んだ」や「人生に必要な知恵はすべて幼稚園のジャングルジムで学んだ」では、広がりに欠ける。
「砂場」だからこそ、人間関係や何かを作ること、壊す(壊される)こと、ダメになること、再び作ることなどなどを想起させるのだ。
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」というタイトルは、簡単なようで、とてもよく計算されていると思う。
一方、かなり自由度の高いフレーズもある。
「人間には二種類いる。○○する人間としない人間だ」
というのがその例で、映画の「スウィング・ガールズ」でも、確か、「人間には二種類いる。スウィングする人間としない人間だ」という言葉を効果的に使っていたと記憶している。
このフレーズは、二種類に分けられそうなものなら、たいがいがイケる。
「人間には二種類いる。夢を実現する人間としない人間だ」
「人間には二種類いる。他人を利用する人間としない人間だ」
「人間には二種類いる。努力する人間としない人間だ」
「人間には二種類いる。借金する人間としない人間だ」
「人間には二種類いる。貯金する人間としない人間だ」
「人間には二種類いる。妥協する人間としない人間だ」
今、テキトーに作ってみたが、どれも人間と人生についていろんなことを教えてくれる。そうして、たいがいの格言がそうであるように、人間と人生についてほとんど全く役に立たない。
昔のハリウッド映画に、部屋に押し入った強盗がピストルを突きつけながら、こんなセリフを吐くシーンがあるという。
「覚えておけ。人間には二種類いる。窓から入ってくる人間と入ってこない人間だ」
映画自体は見ていないが、うまい脚本だなあ、と思う。