戦う理由

 昨日、書いたスポーツでもそうだが、人は(個人差はあろうけど)戦って勝つ、ということが好きなんだろうと思う。
 ちゃんと研究したわけでなく、例によってデマカセだが(この日記に書くことに、一切、責任はとらない。覚悟していただきたい)、本能的なものかもしれない。


 で、スポーツや囲碁・将棋、ネットでしばしば見られる醜い引きずり下ろし合いならまだマシだが、これが戦争となると、痛いわ、苦しいわ、腹は減るわ、悲しいわ、いろんなものがダメになるわ、将来も辛いわ、と、ロクでもないことが多い。まあ、ないに越したことはない、と、わたしは思う。


 戦争を扱った映画やテレビドラマ、ゲームには、しばしば「愛する人を守るために戦う」なんていうリクツが出てくる。


 これまた研究したわけではないが、ここ10年、あるいは20年ほどで、急にノしてきたリクツではないか。
 例えば、1950年代、1960年代のハリウッドの戦争映画に、どのくらい「愛する人を守るために戦う」なんていうリクツが出てきたろう。わたしはほとんど、その手の描写を覚えていない(まあ、例によって、ハリウッド映画はやたらとチューを入れたがるけどさ)。


 どうも、こういうのはいかん、と思うのである。


 例えば、サッカーや野球で、「愛する家族のために戦う」という選手も、そりゃまあ、いるだろう。
 しかし、多くの選手は、たぶん、「戦って勝つのが快感」だから、試合をやるんだと思う。サッカーと愛なんて関係ない、という選手もたくさんいるはずだ。


 しかるに、戦争を扱った映画やテレビドラマ、ゲーム。
 ああいうもので「愛する人を守るために戦う」というリクツを強く打ち出すのは、戦争を(楽しむことを)正当化する手段だろう。作る側の、戦争を娯楽にする後ろめたさが表れている。


 例えば、実際に太平洋戦争に行った兵士には、どのくらい、「愛する人を守るため」という意識があったんだろうか。


 おそらく、理由はいろいろあって、貧しい農村出身で兵隊のほうが食えるから、という人もいたろうし、お国のためという人もいたろう。赤紙来ちゃってしょうがなくという人もいたろうし(多かったろう)、単純に武勇に憧れた人もいたろうし、ある種のムードに乗った人もいたろう。
 さらには、ひとりの人に複数の理由があってもおかしくないし、自分でもよくわからない、あるいはあまり考えないケースもあったろう。


愛する人を守るため」に塗りつぶすのは、実にインチキ臭い。


 わたしは「ブラックホーク・ダウン」(ASIN:B00018GYC4)という映画が割に好きで、実際の戦場、戦争というのはあんな感じなのだろうな、と思う(戦争に行ったことないから、知らんけど)。
 あの映画には確か、兵士が「愛する人」は一度しか出てこない。出撃前にアメリカの妻(だったか?)に電話するシーンで、しかも妻は電話に出そびれる。


 映画やゲームに「愛する人を守るために戦う」なんていうリクツが出てきたら、「ハイ、ハイ。作っている人は後ろめたいんスね」と流すくらいの態度が、ちょうどいいと思う。


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