知らない道

 昨日の投票所は近くの小学校だった。


 校庭を横切って校舎に入ると、だいぶ古びていて、埃っぽい。壁や階段、窓、トイレのタイルなど、わたしがまだ凄まじい美少年だった頃に通っていた小学校と、あまり雰囲気が変わらない。


 21世紀になろうと、東京のそこらじゅうに「アーバン・モダン・オフィスでございま〜す」とニョキニョキ、超高層ビルが生えてこようと、CGを駆使した映画やゲームが出回ろうと、こういうところはほとんど変わらないのね、と、ちょっとホッとしたような気になった。


 古いもの、懐かしいものは、自分にとって安全だからだろう。


 その小学校の場所は知っているが、普段、行くことはない。
 朝、ガキどもが小学校に向かって蟻の如く列をなして向かうのを、「キミらは、そのまま蟻として大人になり、蟻としてアーバン・モダン・オフィスに通いなさい。ウヒヒヒヒ」と意地の悪いことを思いながら、見過ごすだけである。


 投票を済ませて校門を出てから、左に行くべきところを右に行ってしまった。
 途中で逆だったと気づいたが、戻るのも面倒くさく、こっちからも帰れるはずだ、とそのまま歩いた。


 わたしは方向勘が悪いほうではない。おおよその見当をつけて角を何度か曲がった。
 ある角を曲がった後で道がだんだん狭くなっていく。


 古びたアパートの前で子供達が縄跳びをしていた。服装がなんだか古っぽく、昭和にタイムスリップしたような気になった。


 袋小路かな、どこかへ出るのかな、と、ほんの少し、わくわくしながら進んだ。
 モルタルの家の間を抜けると、あっけなく家の前へと通じる道へ出て、「へええ」と妙に感心する気持ちと、ホッとする気持ちと、少々残念な気持ちが入り混じった。何が残念だったのかはよくわからない。


 わたしは知らない道をぶらぶら歩くのが割に好きで、待ち合わせで約束の時間より少し早く駅に着くと、わけもわからずそこらへんを歩いてまわることがある。


 ああいう楽しさというのは、何だろう。


 ガキの頃に、よく近所の辻をいろいろに曲がって、探検をした。
 人の家の敷地だかどうだかわからないところを抜けると、立派な庭に出たりする。
 あるいは、思わぬ角度から自分の家の二階が見えたりもした。


 今、思えば、大したこともない移動距離、大したこともない場所なのだが、ガキにとっては「おお!」と心騒ぐ体験だった記憶がある。


 大人になっても、ああいう探検のスリル、楽しさ、というのが、いくらか残っているのかもしれない。


 放っておくと、年とってからそこらへんを見当なしに歩き回り、「柿食えば 大河を前に ここどこじゃ」と一句詠んでは民生委員に保護される、迷惑な俳諧老人になりそうだ。


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