やややややの記憶

 昨日、何をしていたかすら忘れるのに、2、3歳の頃のことを覚えているのは不思議だ。頭の中の置き場所が違うのだろうか。


 わたしには人生が始まった瞬間の記憶がある。


 台所にあったテーブルで目玉焼きを食べたのだ。


 覚えている中で最初の記憶、というだけでない。明らかに、そこから人生が始まったのを覚えているのである。


「人生」などと書くと大げさだな。ここで、こうやってのたくるに至る、ひとつながりの流れの最初、ということだ。


 その瞬間、目の前が急に開けたのを覚えている。「ややややや、これは何としたこと」と驚いたが、とりあえず平静を装って目玉焼きを食べ始めた。


 では、その前、どういう状態だったかというと覚えていない。暗闇が開けたら、目玉焼きがあった、と、そういうわけだ。


 目玉焼きを食べている記憶だけならさほど不思議ではないのだが、「ややややや、何かが始まってしまった」という驚きの記憶があるのは不思議だ。


 あれは何だったのだろう。その前の、目玉焼きの食べ方や、目玉焼きという食い物自体を覚えたわたし(なのか?)はどこへ行ったのだろう。


 この話、確か、この日記で何度か書いたことがある。そんなことを覚えているのも無駄と言えば無駄である。


 しかし、あの目玉焼きを食べ始めたときから長ーい無駄が始まったのだから、まあ、見逃してやっていただきたい。


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