スケベ眼鏡で世界を見る

 昨年の秋に引っ越しをしたのだが、今のマンションではあまり蝉の声を聞かない。


 ……と書き出したら、リクエストに応えるかのように「スイッチョン、スイッチョン」と声が聞こえてきた。


 今、住んでいるところはマンションの1階だが、前は5階だった。住宅街だったけれども、丘や大学のキャンパスが近かった。蝉の声がわんさと聞こえたのはそのせいだろう。


 スケベ眼鏡というものをかけてみる。


 そうすると、蝉の鳴き声というのはエライもので、
「彼女、ホシー」
「やりてー」
「アイム・ヒヤ!」
 と、オスどもがそこらじゅうでやたらめったら喚き散らしているのだ。異常事態と言わざるを得ない。


 人間界の、大学生のコンパなんかも、そういう下心に満ち満ちている。
 わたしの住んでいるところには大学があり、4月頃になると、新歓コンパなるものの待ち合わせで駅前は混雑する。
「お。今年もサカっちょるねえ、諸君」と思うのだが、あやつらがいっせいに、「ミーン、ミンミン」、「ガシガシガシ」、「オーシーツクツク、オーシーツクツク」と鳴き出したら、さぞや壮観だろう。


 そうした「サカる心」を押し隠すところが、人間は隠微というか、姑息というか、である。


 4月頃、といえば、桜の花もエライもので、スケベ眼鏡を通して見ると、あれはピンク色の生殖器をわっと盛大に開陳しているのである。


 うら若き乙女が桜並木の下を歩きながら、ちらりとそんなことを思い浮かべ、かすかに頬を赤らめる、なんて、なかなかいい光景だ。
 と、スケベ眼鏡を外しつつ、隠微に、心静かにわたしは思うのである。


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