英語にすると

 黒船以来か、ターヘル・アナトミア以来か知らないが、横文字コンプレックスというものが日本にはある。


 横文字コンプレックスといっても、


 yokomoji


 などというのを見ると、顔をぱっと赤らめたり、エヘラエヘラしたり、いきなりハンマーを振り下ろしたりするわけではない。


 まあ、要するに商品名を欧文表記にしてみたり、蒲郡弘(がまごおり・ひろし)という名前のガキがバンドを組んだら、急にHIROSHIと名乗ったりするようなことだ(えーと、名前はテキトーに思いついたものです。もし蒲郡弘さんが実在したら、スミマセン)。


 わたしは国粋的でもないし、あまり民族主義的でもないけれども、それでも、あまりにロコツに「横文字です。カッコいいでしょ、イカすでしょ」と見せびらかしているものを見ると、負けてたまるか、ニッポン男児、という心意気になる。


 ところが、困ったことには、わたしにも横文字コンプレックスがある。欧文表記してあるものを見ると、何となく、洗練されたもののふうに感じてしまうのだ。
 この間なぞ、飯屋に「TOILET」と書いてあるのを見て、「う〜む、イカすやんけ」と、しばらく唸っていたぐらいである。


 すり込み、恐るべし。ペリーよ、あなたは偉かった。


 で、だ。


 なんでこんなことを長々と書いているかというと、有名な小説を英語名にするとどうなるか、と考えたからだ。


 森鴎外の若気の至り的赤面小説「舞姫」は、なんと、“Dancing Queen”である。ABBAなんである。
 字を見ただけで「♪You can dance〜」と頭に鳴り響いた人は、そろそろ、トウが立ってきましたね、お互いに。


 芥川龍之介の「鼻」は、“A Nose”だ。これは英語にしても、原題のトボけたような、ユーモラスな感じが残って、なかなかよい。


 太宰治の「斜陽」は“On Company Business”となる。嘘である。それは「社用」だ。
 正しくは、“The Setting Sun”だそうで(和英辞典を引いている)、ちょっとスカし過ぎの感じもする。まあ、スカしっ屁野郎らしく(id:yinamoto:20050726、参照)、日本語の題名もスカしているけど。


 バタヤンこと、川端康成の「雪国」は和英辞典では“A Region with Heavy Snowfalls”だそうで、これは原題のほうがすきっとしていて、ロマンがある。


 漱石先生の「それから」は“And Then”だろうか。なかなかカッコよい。「門」は“A Gate”で、いかにも文豪している。


 問題は「吾輩は猫である」だ。


“I am a cat.”


 なぜだか、ちょっと困ってしまう。


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