今日の日記には、シモネタ、それも、婉曲なものや、隠微なものではなく、ストレート、直球ど真ん中のものが含まれる。
その手のネタが嫌いな方は、他のところにいらっしゃったほうがいいだろう。
たとえば、このようなサイトで、やわらかなる時間を過ごされては、いかがか。
・尾瀬夢幻
さあ、邪魔者は消えました。ここまで来たんだから、眉、ひそめないでくださいよ。
それから、いろいろ前置きが多くて申し訳ないけど、「さ」の字と「ち」の字が左右反対に見える、ということが後でポイントになるので、覚えておいてください。
告白すると、若い頃に小説を書いたことがある。
20代の頃のことであり、いかにも、その当時の、そのくらいの年齢の人間が安易にやりそうなことだが、村上春樹“調”のものまで書いた(さすがに、スパゲッティを茹でるのまではあまりに気恥ずかしくて、真似しなかったが)。
今、身をよじる思いをしながら、これを書いている。
若気の至りだったのだ。本当に。許してください。
で、そのとき、私には見事なくらい、小説を書く才能のないことがわかった。
いや、才能の問題というより、小説として“書きたいこと”がなかったのだ。小説を書きたかったわけではなく、小説を書くことに憧れていた、というか。
ああ、恥ずかしい。穴があったら、入りたい。「じゃあ、掘ってやろうか」と言われても困るけれども*1。
しかし、小説のような大仰なものでないなら、今でも書いてみたい気はある。
心理描写とか、内面の問題とか、人間を描くとか、そういうややこしい話のないやつ。決して、人の心の奥底に隠れたものを揺さぶろうともしなければ、社会の暗部をえぐり出そうともしないやつ。世界を重層的に描こうなんて考えもしないやつ。連綿と続く小説の系譜、なんてものとはまったくなーんの関係もないやつ。できれば、さっさと書けるやつ。
ま、言ってみれば、クラシックの流れから来た音楽じゃなくて、2分半で終わってしまう、どうでもいいような、イカしたポップス。♪イエイ、イエイ、イエイ、イエイ、ララッラ〜とか歌っているようなもの。
で、まあ、先日、酔っぱらっていたわけだ、例によって。「ま、ま、おひとつ、どうぞ」、「いや、これは、これは。オットット」と、ひとりで盛り上がった。
思考がそこらへんをさまよい、「話を書くなら、どんな話がよかんべえ」と考えた。
ハタから見ていたら、酔眼の男がヨロッとしながら、宙の一点を睨んでいて、気色悪かったかもしれない。
ふと、「ちびくろ・さんぼ」が頭に浮かんだ。最近、復刊したやつだ。
私は物事をひっくり返してみるのが好きで、たとえば、レヴィ・ストロースに「悲しき熱帯」というのがあるなら「楽しき熱帯」というのはどうだ、いや、ダメだ、ダメだ、お話になりゃしない、と、そんなことをつらつら考えながら、日々を過ごしている。
「ちびくろ・さんぼ」もひっくり返してみた。こうなった。
「でかしろ・ちんぼ」。
や。これは何だ。DNAをちょっといじったら変な生物が誕生してしまった遺伝子工学博士のような気持ちになった。
どんなストーリーか、考える気も失せた。「禁酒すべきか?」というテーマが、再び切実な問題として蘇ってきた。
……今、尾瀬に行っとけばよかったと思っているでしょう? 私もそう思っています。