詩で感動したことのほとんどない人間で、つらつら思い返してみれば、中学の頃に萩原朔太郎の青い猫がどうしたこうしたという詩に「へええ」と思ったくらいしか記憶にない。
中学か高校の教科書に載っていた宮沢賢治の「永訣の朝」では、教わるまで「あめゆじゅとてちてけんじゃ」の意味がわからず、呪文か何かなのだと思っていた。
まず、死にかけた妹がなぜミゾレを食いたがるのかがよくわからなかった。
まあ、そこらの細かい事情はわからんけど、ともあれ、宮沢賢治は呪文を唱えながら走り回っているのだな、なんだか知らんが、大騒ぎなのだな、と了解していた。
どうも詩というものに対して、不感症であるらしい。というか、他の人間が持っている何かが欠けているのかもしれない。
そんなやつが物書いて食っているのだから、世の中、不思議というか、甘いというか。
昨日、本屋で「高村光太郎詩集」(新潮文庫、ISBN:410119601X)を衝動買いした。
もちろん、実際は、衝動、衝き動かされる、なんてことはなく、ちょっと読んでみっか、くらいだったのだが。
高村光太郎といえば、「道程」である。
これまた、中学か高校の教科書に載っていた。何しろ、萌え出ずる春の頃であるからして、バカなガキどもは、題名の音だけで大騒ぎになった記憶がある。もう、オシベとメシベどころの騒ぎではなかった。
ひさびさに読んでみた。
著作権は著者の死後50年保護される。
高村光太郎の没年は1956年だから、来年までここに転記はできない。
引用として許される程度だけ写すが、とても短い詩なので、実際にはほとんど書けない。
「道程」の出だしは有名だ。というか、出だししか知らない人のほうが多いんじゃないか。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
土木工事についての詩である。
冗談である。
この後、
ああ、自然よ
父よ
と、いきなり大きく勝負に出て、大仰で抽象的なままに終わる。
私は読んでいて、高村光太郎の気迫と生命力は感じたが、同時に困ってしまった。
何故かはよくわからない。
今、こうやってのたくっている現代の私と、あまりに隔絶しているからかもしれない。
あるいは、あまりに師範学校的だからか。
師範学校的、というのは、師範学校の生徒が友と熱くなって語り合いそう、という意味だ。「友と詩と夢を語ったあの頃が懐かしい」なんていうふうに。
師範学校の生徒の実際がどうだったかは知らんけど。
これまた、有名な「レモン哀歌」も、なかなか純な気持ちでは読めない。
死にゆく妻について書いた詩で、本来なら感涙にむせぶはずなのだが。
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
という、本来なら「いいところ」で、皮肉の悪魔が私に語りかけるのだ(その皮肉の悪魔は、私の頭ン中に住んでいるリトル私なのだが)。
「智恵子、全然、元気じゃん」、と。
なんたって、レモンをがりりと噛むのだ。死にゆく人にはとても思えない。そうして、この後、智恵子は深呼吸をひとつして、死んでしまうのだ。
詩は現実を描写するものとは違うんだろうけれども、がりり、はねえ。
かといって、もりもり、と書かれても困るけど。
詩集の詩を全部読んだわけではないけれども(苦行だ)、拾い読みしながら感じるのは、高村光太郎の異様な生命力と、過剰に思えるくらいの純粋さへのこだわりだ。
そうして、その生命力と純粋さへのこだわりは、「ロダンについて、あなたはどう考えるのか」と問われても困るように、私を困らせる。
遠いよなあ。