「涙は心の汗だ!」という言葉がある。
今、素早くインターネットで調べると、ドラマ「飛び出せ青春」で中村雅俊が言った台詞なのだそうだ。
そういう情報が、十数秒で得られるのだから、便利な世の中になったものである。
便利な世の中ではあるが、別に中村雅俊には興味ないので、無駄な十数秒だった。
さて、中村雅俊のことは、とっとと忘れて。
「涙は心の汗」ならば、「汗は体の涙」なのだろうか。
うーん、合っているような、合っていないような。
まあ、肉体を酷使すれば、「もう、勘弁してくださいよおお」と、体が泣く、と考えることはできる。
あるいは、サウナに入って、「なんで、わざわざ、こんな熱いところへ来るんですかああ」と泣く。
「汗は体の涙」なら、体は相当なヘタレであるらしい。
だいたい、体はやたらと汁を出す。
「汁」を「しる」ではなく、「じる」と呼ぶと、キタナラしさがいっそう引き立つのだが、それはまあ、いいだろう。
「♪美しい人生よ〜、かぎりない喜びよ〜」と松崎しげるが熱唱したところで、リチャード・ギアとジェニファー・ロペスがクルクル回ったところで、我々は汁を垂れ流しながら生きているのだ。垂れ流すのをやめるのは、死んだときである(ただし、腐ると、肉体がだんだんと汁化するので、さっさと燃やすことにしているらしい)。
せいぜい、汁を垂れ流す中で、たまに美しいこともあるかもしれない、といったところだろう。
何を言いたいのか、自分でもさっぱりわからなくなってきたが、つまりはそういうことだ(どういうことだ)。
もとい。
「汗は体の涙だ!」。まず、ここまではいえそうだ。
では、「鼻汁は鼻の涙」だろうか。
ああ、たぶん、そうだ。
私は、“男の優しさ”のにじむソフトボイスで、こうささやきたい。
鼻にだって、泣きたい夜もあるのさ。花粉や、寒さや、黴菌に打ちのめされてね。
よだれは何だろう。
「よだれは欲望の汗だ!」。
ヨシ。キマった。
別にびっくりマークつけて、叫ぶこともないけれど。
同じ汗でも、運動時やサウナ入浴時の汗とは別に、冷や汗、というものもある。
まず、怖い思いをしたときに流れる。
たとえば、ホーム際でよろけたとか、密室にふたりっきりの状態でヴァンダレイ・シウバに愛を告白されたとか。
これは冷や汗をかく。なんだろう。「汗は平常心の涙」か。うーん、ちょっとよくわからない。
恥ずかしい思いをしたときにも、冷や汗をかく。
私なぞ、この世に生まれ出たとき、つい、「あれ? 間違った」と口にしてしまい、以来、冷や汗をかき通しなのだが、それはまあ、よい。
あの恥の冷や汗は簡単だ。
「汗は自意識の涙だ」。これで、まず、間違いないだろう。
涙は心の汗だ。
汗は体の涙だ。
鼻汁は鼻の涙だ。
よだれは欲望の汗だ。
汗は自意識の涙だ。
涙は自我の鼻汁だ。
鼻汁はスノビズムの痰だ。
痰は気管支の涙だ。
よだれは口の唾だ。
膿は黴菌の涙だ。
痰はジジイの汗だ。
チンギスハンはモンゴルの汗だ。