ロケット

 先日、人と話していて(人以外と話すことは滅多にないのだが)、ロケットの話になった。


 そのときに気づいたのだが、ロケットの打ち上げの成功パターンはひとつしかない。しかし、打ち上げの失敗パターンは多彩だ。


 打ち上げ成功のとき、ロケットは轟音とともに炎と煙を噴射して、ただただ上空へと上がっていく。
 ロケットの形や打ち上げの場所、空の色、風による煙のたなびき方は違うが、ひたすら直線的に上昇する。


 しかし、失敗の形はさまざまだ。


ライトスタッフ」という映画がある。


 1960年代前半のアメリカのマーキュリー計画を描いた映画で、青果市場で働く加藤ちゃんによれば、「あれこそ、男の映画だ」そうだ。
 宇宙飛行士としての成功に向けて奮闘する男達、一方で彼ら以上の資質を持ちながらも、世間に知られることなく黙々と速度の限界に挑戦するひとりのテストパイロット。


 加藤ちゃんは、「気合いを入れたいとき、おれはいつもライトスタッフを見ることにしている」のだそうだ。
 そうして、がっつり気合いを入れて、妙にやわらかくなったニンジンを巧妙に高値で八百屋に売りつけるらしい。


 ま、そんなことはどうだっていい。


ライトスタッフ」には、マーキュリー計画の前期に、NASAが次々とロケット打ち上げに失敗するシーンが出てくる。


 ジューサーに押し込まれていくニンジン(加藤ちゃんが関わっていないニンジンであることを祈る)のように、下から崩れていくロケット。
 発射直後に、小さな放物線を描いて地面に落ちるロケット。
 成功したと思ったら、上空で爆発するロケット。
 いいところまで行ったのだが、傾いて飛んでいってしまうロケット。
 発射ボタンを押すと噴射せず、ポン、とパラシュートだけを打ち上げるロケット。


 たぶん、全て記録映像だと思うのだが、どれも味わい深い。ダメの多様さというものを感じる。


 当時、こんなアメリカン・ジョークがあったそうだ。


「パパ、僕、ロケット打ち上げの真似ができるよ!」
「ほう、やってごらん」
「うん。『3、2、1……や、また失敗だ!』」


 日本では、宇宙航空研究開発機構(旧・宇宙開発事業団)がロケットの打ち上げを担当していて、マーキュリー計画の前期のように、しばしば打ち上げに失敗する。
 失敗すると、組織コーゾーがドーダ、技術力がドーダ、税金がドーダ、文科省がドーダ、という話になる。


 確かにそれはそれでしっかりやっていただきたい話だが、私は、あの打ち上げ失敗の味わいを、もっと楽しんでいいと思う。


 いや、アポロ1号やチャレンジャー号のような有人飛行の打ち上げ失敗となると、悲惨で、味わってなどいられない。


 しかし、無人飛行のロケットの打ち上げ失敗の映像は、とても魅力的だ。


 もちろん、関係者は打ち上げ失敗を狙っているわけではない。限られたリソースの中で、どうやったらロケットを打ち上げられるか、真剣に取り組み、頭を悩ませていることだろう。


 だからこそ、打ち上げ失敗の味わいが生まれるのだ。わざと変なふうにロケットを飛ばしたところで、何が面白いものか。


 何だろう。全てを失うときの、不思議な解放感のようなものだろうか。スキーでコケ、「あー」と馬鹿になってゲレンデをズルズル滑り落ちていくときの、無力感と妙な快感に似ているかもしれない。


 私は、別にロケットの打ち上げ失敗から、人生訓や成功の法則を見出したいわけではない。もちろん、くだらない皮肉を書きたいわけでもない。
 純粋に、ロケットの打ち上げ失敗の面白さについて、書きたかったのだ。


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