私は、すぐに疲れる。
そもそも、生まれるとき、「1、2、3、ダーッ!」と勢いよくこの世に飛び出そうと計画していたのだが、産道の途中で疲れてしまい、ようやく出てきたときには「1、2、3、はぁー」と息切れしてしまった。
私は、38年に及ぶ人生体験から、特に世の体育教師に言いたいことがある。
「根性」だけで逆上がりができれば、苦労しない。鍛えても、鍛えても、懸垂できない男もいるのだ。
そんなわけで、今回はいろんな人々を疲れさせてみようと思う。
死なばもろとも。倒れるなら、前を向いて、人を巻き添えにして、倒れたい。どうせまた地獄に落ちるなら、カンダタの足もつかんで引きずり下ろしてやる。息切れしながら。お釈迦様、すみません。
手法は簡単だ。「疲れました」の一言を入れるだけである。
まずは、朝日新聞を疲れさせてみる。今朝の一面から、休刊の告知。
きょう3日(火)は祝日(憲法記念日)、4日(水)は休日(国民の休日)ですので、夕刊は休ませていただきます。
また、5日(木)の「こどもの日」は新聞製作を休み、5日の夕刊と6日の朝刊は休刊とさせていただきます。疲れました。ご了承下さい。
そうまで言うなら……。ここのところ、いろいろ大変だったしね。
どうです、この「疲れました」のスルドくも、いかんともしがたい感じ。世の体育教師よ、あなた達に、この、苦しみでも絶望でもない、ただただ萎えている無力感は伝わるだろうか。
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疲れました。
いろんなことがあって、本当に疲れ果てたのだろう。世の体育教師よ、この、そこはかとない悲しみがわかるか。
漱石先生の猫にも疲れていただきましょう。
吾輩は猫である。疲れました。
素朴な味わい。猫であることに疲れることだって、あるだろう。世の体育教師よ――これはもういいか。
ところで、村上春樹の小説の主人公といえば、スパゲッティを茹で、ワイシャツにアイロンをかけ、ビールを飲み、知り合った女の子と「やれやれ」と言いながらセックスすることで有名である。
この「やれやれ」には、「疲れました」とはまた違った味わいがある。
何かこう、倦みながらも、やらざるを得ないことだからやる、というか。そのあたりが、現代人の生活感覚に近藤真彦(マッチ)して、受けているのかもしれない。
私は、どちらかというと、「やれやれ」より、「よれよれ」のほうにシンパシーを感じるのだが、それはここでは関係ない。
今度は、「やれやれ」で行ってみよう。
きょう3日(火)は祝日(憲法記念日)、4日(水)は休日(国民の休日)ですので、夕刊は休ませていただきます。
また、5日(木)の「こどもの日」は新聞製作を休み、5日の夕刊と6日の朝刊は休刊とさせていただきます。ご了承下さい。やれやれ。
非常に感じが悪い。
「疲れました」が、家出する主婦の書き置き、「探さないでください」にも通じる、ある種の極限を感じさせるのに対し、「やれやれ」と口にする人は何かの役を演じているふうだからかもしれない。おそらく、そこからぽっと出た本音が「やれやれ」なのだ。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。やれやれ。
とても村上春樹的な文章だと、私は思う。
今日はこんなところでしょうか。疲れました。