医師

「医は仁術」という。


 私の知り合いに、冗談のつもりで「医は忍術!」と言って、患者に非常な不安を与えた医者がいる。そういう馬鹿はこの際、放っておく。


 患者側が「医は仁術」と考えたがる気持ちはわかる。


 怪我や病気のとき、人は心が不安定になりやすい。苦しいときには「ハヤク、ナンドガジデグデ〜」と思う。
 そんなとき、たとえば、あんまり事務的に「順番は順番ですから」と扱われたり、「まあ、三日ものたうち回っていれば、自然と治りますよ。アハハハハ」などと言われたりしたら、逆の意味で「医は仁術」という言葉を思い起こすのだろう。


 あるいは、「あの、実は薬礼が……」と恥を忍んで言って、「ああ、じゃあ、生活保護受けてから来てください」とソッケなくあしらわれたら、「人の命を救うのが医者なのに」ということになる。


 もっとも、医者の側からすれば、勝手に「医は仁術」と主張されても困るだろう。
 医者によって多少考え方は違うだろうが、基本的に医者は技術者だからだ。


 そもそも、医者という言い方が曖昧かもしれない。職業としては、医師=医療技師と呼ぶほうがふさわしいだろう。
 たとえば、ボイラー技師はボイラー者(ボイラーもの、と呼ぶと、味わいはあるが)とは呼ばれないが、医師は医者と呼ばれてしまうのだ。


 まあ、人の痛い苦しいや、動けません、働けません、食っていけませんや、死にそうです、死ぬでしょうか、死にましょうか、そうですね、死にました、に付き合わなければいけない立場だ。患者の生活や、心の領域に踏み込まざるを得ない局面もあるだろう。


 そんなこんなで、患者や患者側に立つフツーの人々からは、良心だの、患者に接する姿勢だのが問われることになる。
「赤ひげ」だの、「Dr.コトー」だのの“ヒューマン・ドラマ”がそうした圧力をさらに強める。


 もちろん、私は「医は仁術」と考える医師に反対しているわけではない。それは本人の信念の問題だ。
 あるいは、私だって「ダヂゲデグダザイ〜」というときに優しく扱ってもらうと、「ああ、いい先生だ」と思う。


 しかし、医師に対して、すべからく「医は仁術たるべし」と求めるのは違うだろ、と思う。
 医師に誠意は必要だろうが、それはまず第一に、自分が提供するもの(広い意味での技術)についての誠意だ。ボイラー技師が誠意を持ってボイラーを扱うのと同じである。


 後の、患者に接する態度とか何とか、というのは、サービス業における接客態度と、たぶん、そんなに変わらないと思う。接客態度のいい店は、評判がよくなる。
 まあ、普通の接客業と違って、相手がしばしば「ナンドガジデグデ〜」と切羽詰まっているのが、いささか厄介なところだけれども。


 ところで、医師の呼び方について書いていて思ったのだが、開業医は医療コンサルタント、専門医は○○医療技術士と捉えるとどうだろう。


 大したことのない症状でいきなり高度な専門医のところに行くのは間違いだ。本当に専門医の治療を必要としている患者の妨害になる。
 医療コンサルタントのところで簡単な病気・怪我なら処置しているもらえるし、対応できないようなら、診てもらうべき○○医療技術士は指示してもらえる。


 って、なんだか、厚生労働省の手先みたいなこと、書いているけど。