鳩は平和の象徴とされるが、なぜ平和の象徴なのか、とあらためて問われると、わからない人が多いんじゃないか。
私もわからない。もしかしたら、馬鹿だからかもしれない。
よく軍事増強派、あるいは軍事強行派をタカ派、逆をハト派と呼ぶ。タカは肉食で、ハトは草食だから、まあ、何となくイメージはわかる。
Googleで「鳩 平和の象徴」と安易な検索をかけると、あっという間に答が出てきた。
どうやら、旧約聖書に由来するらしい。古代ギリシャ・ローマ(ひとくくりにしていいのだろうか?)から、という説もある。
あんまり簡単にわかってしまうと、案外、つまらないですね。さほど驚くような理由でもなかったし。
しかし、本物の鳩はあまり平和主義的ではない。
まず、「爆撃」する。被害者はフンガイにあって、大いにフンガイするわけだが、これはオヤジギャグである。反省します。
あるいは、公園で鳩の群れに餌を撒くと、奪い合いを繰り広げる。お互いをつつくことこそないけれども、押しのけ合って、「おれが食う、おれが食う」、「わたしが食う、わたしが食う」とエゴ丸出しだ。実に醜い。
まあ、軍事的に平和な世の中で、経済的利益を奪い合う象徴、と捉えらればいいのかもしれない。
鳩には「愚か」という言葉がよく似合う。
先の餌を奪い合う姿もそうだ。餌を奪い合うのは別に鳩に限った話ではないが、それでも、ガッつく鳩の群れを見ていると、もう少し、慎み、とか、エレガントさ、とか、落ち着き、といったものがあってもいいんじゃないか、と思う。
鳩は欲望丸出しだ。おそらく、自意識がないのであろう。
ソウルオリンピックだったか、聖火台に点火したら、とまっていた鳩が焼け死んだこともあった。「平和ノ祭典デ、平和ノ象徴ヲ燃ヤシテ、ドナイスンネン!」と世界中の人々がなぜか大阪弁でツッコミを入れた出来事であった。
鳩としては、ただそこにとまっていただけなのだろうが、あれもなかなかに愚かであった。
「鳩が豆鉄砲食ったような顔」という言い回しがあって、キョトンとして、何が起きたのかわかっていない様子を指す。これも、愚かなイメージだ。
しかし、あれ、本当だろうか。ちょっと近寄っただけで、バーッと飛び立つ輩だ。豆鉄砲食らわせたら、さすがに飛んで逃げると思うのだが。
今度、実験してみようと思う。
今週末、ニュースに、公園で動物愛護団体の人々に羽交い締めされている男が映ったら、それは私である。
鳩の人達。意外と目が怖い。奥のヤツなんか、ガン飛ばしている。