性善、性悪

 性善説性悪説(しょうわるせつ、と私は読む)というのがある。
 人間の本性は善である、悪である、とするものだ。古来、両論を唱える者同士は犬猿の仲で、相手方を醜く罵り、会えば蹴飛ばし合い、パンツを引きずり下ろし合ってきたので、結局は性悪説が証明されてしまったという話である(嘘である)。


 尼崎の電車事故で亡くなった人、その家族や親しかった人、怪我で苦しんでいる人に対しては、何を書いても空々しくなってしまいそうだ。
 あんな大惨事を素材にして別の事柄について書くと、不快に感じる方もいらっしゃるだろう。許していただきたい。


 義心といっていいのかどうかよくわからないが、事故、災害が起きた瞬間、まわりの人々には善とされる力が働くようだ。


 尼崎の電車事故では、事故の直後、現場近くに住む人々や働く人々の間で「ライトバンを出し合おう」という話になり、怪我人を運んだそうだ。500人近い怪我人が出たから、救急車だけでは追いつかなかったろう。


 現在、電車の中に残された人々の救出にあたっているレスキュー隊員も、単に職務だからという理由だけで奮闘しているわけではないだろう。


 以前、スマトラ島沖地震による津波を撮影した、家庭用ビデオの番組があった。一般の人々が、たまたま撮影していたものを集めた番組だ。
 それらビデオに映っていたのは、「逃げろ!」と浜にいる人々に叫ぶ声や、流されていく人に手を伸ばして助けようとする姿だった。


 災害のとき、人々の間には結びつこうとする力が一時的に働く、という話を読んだことがある。あるいは、単純に、目の前に置かれた悲惨さを黙視していられない、ということもあるだろう。


 一方で、事故や災害現場とは離れたところからは、不逞の輩が登場する。


 新潟県中越地震では、自衛隊員や消防署職員などを装って、被災者やその親族に振り込め詐欺を働く連中が出た。
 心が不安定な状態になっている人を狙う卑劣な手だが、おそらく、そういう人が出る機会を、虎視眈々と狙っているのだろう。今回の事故でも、詐欺を働く連中が出てきそうである。


 私自身は、性善説性悪説ともに観念的すぎて、あまり真面目に考える気になれない。何が善で、何が悪、というのも、なかなか厄介な話だし。


 同じ人間でも、状況によって心の働き方はいろいろだと思う。
 振り込め詐欺を働く人間は、目の前であの電車事故が起きたら、どんな行動をとるだろうか。


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