嘘つき

 嘘つき。


 いい言葉である。


 ただし、状況による。


 女の子に背中を軽くぶたれながら、「うん、もう、嘘つき!」なんて言われるのは、デヘヘヘ的にいいものだが、私は残念ながら、めったにそういう場面に出会えない。
 いや、めったにどころか、過去をほじくっても、そんな記憶はない。だから、映画か漫画ででも見たシーンを、頭の中で勝手に培養しているのだろう。


 まあ、現実でも空想でもどちらでもよいが、こういうのは女の子に背中を軽くぶたれるからいいのだ。
 大阪のディープ・サウスで肩に頭がめりこんだような巨漢・丸坊主のニイチャンに、「おうコラ、この、嘘つき!」と背中をブロックでどつかれる、なんていうのは、なるべく避けたいものである。
 トイチに手を出してはいけません。


 私は、生来、嘘つきで、生まれたときには、東西南北にそれぞれ七歩ずつ歩み、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と言い放ったという。
 それから38年経った今、このテイタラクであるからして、誕生早々、随分、大きな嘘をついたものである。


 もっとも、この嘘はあっという間にバレてしまったらしく、この逸話を教えてくれた母親によれば、産婦人科のお医者さんや看護婦さんは全員、「聞かなかったこと」にしたそうだ。


 私の母親も、どうやら、相当な嘘つきである。


 小学校の頃、私は、架空の漫画のストーリーをねつ造して、友達に語るのが生きがいだった。
 当時、テレビで「巨人の星」などのスポ根野球アニメをよくやっていて、ガキどもの心をわしづかみにしていた。


 タイトルは忘れたが、私は架空の漫画雑誌に連載されている架空の野球漫画のストーリーをねつ造した。
 天才バッターが主人公で、この選手は強盗が撃ってきた拳銃の弾をバットで打ち返すことができるのだ、などというデタラメ話を、よく一緒に帰っていたヒグチ君に、帰りの道々、語り続けたのである。
 ヒグチ君は素直な少年で、すっかり信じ込んだ。「その漫画、読みたい、読みたい!」といつも言っていた。私は「そのうち、見せてやる」と言い続けながら、何とか、小学校の6年間を乗り切った。


 私の情熱と根気も大したものだが、ヒグチ君の素直さはその上を行ったと思う。今頃、人に騙されて、トイチのお世話になっていなければいいのだが。


 高校に入ると、人に嘘をつくのはやめた。もっぱら、試験で嘘をつくことに情熱を傾けるようになった。
 特によく嘘を書いたのは数学の試験だ。
「〜であることを証明せよ」という問題が出ると、いろいろと嘘の数式を並べ立てた。「わかりません」という嘘を書いたこともある。
 先生は正直な人で、素直にペケをつけてきた。まんまと引っかかったのである。


 もちろん、正解は全てわかっていたのだよ。


 何しろ、中学2年生のときにリーマン予想を証明したが、この難問に必死に取り組んでいるプロの数学者達を気遣って、黙っていた私だ(中学生に負けちゃ、面目丸つぶれだからね)。高校の数学の試験なんぞ、馬鹿馬鹿しくて、正解を書く気がしなかったのである。


 ともあれ、先生が馬鹿正直にペケをつけるものだから、大学では文系の学部に入ることになってしまった。嘘を見抜けない教師というのも、困ったものである。


 大学に入ると、同じサークルにいたトダ君を騙すことに、4年間、情熱を注いだ。


 たとえば、当時、NHKの朝の連続ドラマ小説で「はねこんま」という番組がヒットしていた。関西出身で下宿暮らしのトダ君はテレビを持たず、致命的なことに、素直であった。


 私は、番組のタイトルの「こ」と「ま」を逆にして、トダ君に教えた。
 ついでに、福岡から上京した、少々はねっかえりだが元気で気性のさっぱりしたストリッパーが、いろんな事情を抱えた男達に情けをかけ、NHK朝の連続ドラマ小説のくせにそれをきっちり映像化し、でも基本的にはすっごくいい話で、毎回、主演の斉藤由貴のスッポンポンが出るものだから、視聴率がもの凄いことになっていて、社会問題になり、この間はついに国会でも取り上げられた、と吹き込んだ。


 トダ君は卒業するまで信じ続けた。その番組の話を振るたびに、「NHKがそんな番組つくったら、あかんわ」と言っていた。
 トダ君も、トイチのお世話になっていなければいいのだが。


 その頃には、私の、数学、哲学、文学、音楽、絵画における天才はすでに明らかだったが、「いやいや、普通の人間です」と嘘をついて、普通の企業に就職した。
 その後、一回、転職し、30歳の頃にはフリーになって、普通の人間のふりをしながら、今に至っている。


 普通の人間、と嘘をつき続けるのも、これでなかなか苦労する。


 この間も、電車の中でテキトーに鼻歌を唄っていたら、向かいの席の男が立ち上がって、こっちにやってきた。
 どうやら、そのメロディが心の琴線に触れまくったらしく、レコード会社の名刺を差し出しながら、目に涙すら浮かべて、「い、今の曲はあなたが?」と訊いてきた。
 面倒くさかったので、「いや、昔々にヒットした曲ですよ。何て曲だったかなあ。えーと」などとゴマカしながら、次の駅で逃げるようにして降りた。


 ところで、いつもこの日記を読んでいただいている方々に、ここで謝らなければならないことがある。今まで嘘をついてきた。


 私、実は3歳だ。