リッパなことにしたがる人々

 今、双葉文庫が「ひさいち文庫」というシリーズを順次、刊行している。


 いしいひさいちは天才であるうえに、大量に描いているから、出来不出来の差が激しい。
 だから、傑作だけを集めたシリーズはありがたい。


 えーと、まるで双葉文庫からお金をもらっているような書き方だけど、そういうわけではありません。


 私は、いちいひさいちの、特に忍者ものとか、地底人シリーズとかの、有象無象(うぞうむぞう、ってこんな字を書くのか)が出てくるものが好きだ。
 山田家ものとか、タブチくんのような、キャラクターが固定されているものより、わけのわからん忍者や地底人の人々がわーっと出てきて、わーっと騒いで、わーっとコケたり、はあっと息切れしたりするタイプが気に入っている。


 新しく「戦場にかける恥」(ISBN:4575712949)というのが出た。戦争ネタばかりを集めたもので、面白い。


 愚挙になると予感しつつ、そのうちの一本を文字にしてみる。


 1コマ目。
 作戦室で将軍が苦渋の表情でうつむいている。
 小さな窓の向こうでは、砲撃を受けたのか、煙が上がっている。
 参謀達が次々と情報をもたらす。
「閣下、第1師団が全滅しました!」
「第2師団も包囲されました!」


 2コマ目。
 参謀達が将軍に詰め寄り、決断を迫る。
「すでに戦線は崩壊しつつあります!」
「閣下!」
 将軍の表情がさらに苦渋の度合いを深めていく。


 3コマ目。
 将軍の顔のアップ。額にはいくつもの汗。ついに口を開く。
「残念だが……この作戦は無理であったと認めざるを得ない」


 4コマ目。
 将軍が作戦図に各師団の駒を置き直しながら、
「ちぇっ、しょうがない。もう一度、やり直してみるか」
 参謀が「閣下、そういうものでは」と困って、オチ。


 やはり、愚挙であった。いしいひさいちのあの絵と間合いでなければ、このおかしさは伝わらない。


 文庫本の裏表紙には、内容紹介の文がある。こんなことが書いてある。


いしい世界のナンセンスな戦場は、イラクの泥沼や憲法9条の危機と地続きだ。戦争の不条理を身もフタもなくあばいたいしいひさいちの不朽の名著「鏡の国の戦争」」より選りすぐりの傑作に、その後の「ドーナツブックス」収録作を加えて贈る新編集版!


「戦争の不条理を身もフタもなくあばいた」、ねえ。まったくもって、ヤボチンスキーな文章である。


 いしいひさいちの戦場ものが「戦争の不条理を身もフタもなくあばいた」のなら、タブチくんシリーズは「野球界の不条理を身もフタもなくあばいた」ことになるのか。忍者ものは「忍法の不条理を身もフタもなくあばいた」もので、地底人シリーズは「地底世界の不条理を身もフタもなくあばいた」のか。


 違うだろう。


 いしいひさいちのいいところは、風刺や社会批判、人間性の探求、なんていうものを目指さないことだ。カラッとしている。


 彼の作品に、政治や戦争、人間のしょうがない部分が取り上げられることは多々あるけれども、それらはあくまで素材に過ぎない。
 いしいひさいちがやりたいのは、そうした素材をうまく使って、思いっきりバカバカしい世界をつくりあげることだろう。
 風刺や社会批判が目的ではない。そんなゲスなことをやらないから、いいのだ。


 どうもこう、せっかくのオモロいものを、社会評論や文学評論的に“リッパなこと”に結びつけようとする手合いを、好きになれない。少なくとも、いしいひさいちは、もっと上等な漫画家である。


 たとえば、上で書いた漫画でいうと、「戦場で命を落としていく兵士達と、作戦室で彼らを将棋の駒のように扱う、エリート軍人の現実感の希薄さを云々」とエラソーに評論することはできる。


 しかし、読者は、“そんなことは、とっくにわかっている”(けど、イキナシ出てきた)からこそ、笑うのだ。


 何日か前にも引用したが、中島らもいしいしんじの対談に「その辺の問題」(角川文庫、ISBN:4041863066)というのがある。
 その中に、まずい食い物を探してまわる話が出てくる。


渋谷のガード下のそば屋、これは今でもあると思うけど、まずかったなあ。お箸でそばをすくおうとするやろ。そしたらズルズルって、切れてまうの。


――茹でたまま、置いてあるんでしょうね。


ぼてぼてっ、いうて、音たてて落ちるの。嬉しかった。


――よくぞこうなるまで、辛抱したな、いう感じですね。


新宿の中華料理屋でな、隣の女の人が、なんか悲しそうな顔して焼きソバ食べてたのね。見てたら、彼女、3分くらいで席立って、口押さえながら出ていこうとしたんやけど、店の奥からコックが大声で「おねーちゃん、ごめんなー。今度、味つけとくから!」やて。


 とまあ、そんな調子で、実にバカバカしく素晴らしい本だ。


 ところが、以前にも書いた記憶があるが、解説に小堀純という人がこんなことを書いている。


「実在性を消してまわって物事を何の意味もない純粋な冗談にすりかえていく」と中島らもの本質を評したのは村上春樹(『啓蒙かまぼこ新聞』解説・1986年/ビレッジプレス)だったが、「虚実皮膜」とはよく云ったもので、中島らもの限りなく「真実」に近い「冗談」がいしいしんじという、絶妙のツッコミを得て毒のある虚構性を獲得している。


 これまた、ヤボチンスキー。そんな中学、高校教育の延長のような“リッパなこと”はいらんのだ。


 カツオのタタキをうまい、うまいと食っているときに、アミノ酸の組成をくどくど説明するような、野暮ったさである。


 このふたりは、ただただ、オモロい話をしたいだけなのだ。


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