仕事の誇り

「自分の仕事に誇りを持て!」、なんてことを居酒屋で説教する上司というのは、いかにもいそうだ。


 まあ、誇りを持ったほうが、ガンバッチャウモンネー的態度にはなりやすい。
「おれはこんな凄い仕事をやってんだぜ。ヘヘヘーン」というイヤラしい自慢話にならないなら、私の知ったことではない。ドーゾ、各人、勝手に誇りを持っていただきたい。


 しかし、世の中には、どうにも誇りを持てない仕事、というのもあるんじゃないか。


 こんなことを書き出したのは、アレだ。昨日の日記に書いた、弁当の中のグリーンのビラビラについて考えていたからだ。
 昨日、突如としてできあがった「グリーンのビラビラ追放委員会」(私もあまりの急展開にとまどっている)の委員長としては、グリーンのビラビラにさらなる考察を加えるべきではないかと思ったのである。


 グリーンのビラビラ(正式名称を調べる意志は全くない)を工場で作っている人は、ハテ、自分の仕事に誇りを持てるだろうか。


 グリーンのビラビラの製造工程を見たことはない。
 しかし、ガキの頃の「はたらくおじさん」以来、今に至るまでの私の人生経験からスルドく推察するに、たぶん、最初に大きなグリーンのビニールシートがあるのだろう。シートには、例の5mm間隔くらいの筋が入っている。
 そうして、あの波形の形状をした、型抜き用のカッターがある。カッターは何枚分かで一組になっていて、隣り合ったカッターは、あの波形のところがうまく噛み合う形をしている。


 図にすると、こんなカッターだ。


birabira.gif


 グリーンのビニールシートはベルトで正確にカッターの幅ずつ移動し、カッターがガチャコン、ガチャコンと、シートをカットしていくのだ。切ったビラビラはベルトの端まで来ると、所定のボックスに落ちる。


 おそらく、そういう仕掛けになっているのだろう(ここで私は恐るべきことに思い当たった。もし、今、書いたような工程でグリーンのビラビラを作るのだとしたら、「グリーンのビラビラを作る機械」を作っている人もいるのだ。「不毛」という言葉が頭をよぎる)。


 グリーンのビラビラを最初に開発した人には、もしかしたら、充実感があったかもしれない。
「こんなもん、作ってみたんや」
「何や、それ?」
「弁当に入れんねん。葉っぱみたいでええやろ。これ、境目に置いといたら、エビ天さんの油が隣の卵焼きにひっつくことものうなるしな。緑のビニールをカッターで切ってくだけや。安いから、ぎょうさん売れるでー」
 と、なぜかグリーンのビラビラは大阪の町工場で開発されたことになってしまったが、そういう会話もあったかもしれない。


 そして、実際に弁当の中にグリーンのビラビラが入っているのを見て、「これ、ワシが発明したんや」と誇りを抱いたかもしれない。


 しかし、やっぱり、モノとしては、グリーンのビラビラだ。ビニールなのだ。弁当をぐっと安っぽく引き立てるのだ。
 一日に、おそらくは何千枚、何万枚と作っている人は、どこに仕事の誇りを見出せばいいのか?


 あえて光明を見出すとしたら、グリーンのビラビラを作るスピード、正確性、不良品を出さない努力、コスト削減、という方向にあるだろう。それらは、全て、会社の利益に結びつく。
 自分が作っているものの最終的な使われ方(悲しい弁当の中)を気にしなければ、もしかしたら、誇りは抱けるかもしれない。仕事の誇りは、仕事の中にのみ存在する、と考えるのだ。


 いや、つい私の“優しさ”が出てしまった。「グリーンのビラビラ追放委員会」が、グリーンのビラビラに携わる人の手助けをしてはいけない。ここは非情に徹する必要がある。


 しょせんはグリーンのビラビラである。作っている人は、自分の仕事に誇りなど、持たなくてよい。


 まあ、仕事は仕事と割り切って、誇りなぞ無理に持とうとせず、もらうもんだけもらっとく、という態度もある。そっちのほうがグリーンのビラビラにはふさわしいように思う。


 “誇りを持って”作らんでもよいぞ、あんなもの。


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