ガキどもの未来

 私がガキの頃は、物質的に光り輝く未来像、というものがまだあった。
 エアカー、ベルトウェイ、リニアモーターカー、ロボット、宇宙船、と、いろんな道具があって、素晴らしきものとして描かれていた。


 私には子どもがいないのでわからないのだが、今のガキどもは、未来をどういうイメージで捉えているのであろうか。


 愛知万博リニアモーターカーが開業したそうだけれども、あれは私が子どもの頃からずーっと「未来の乗り物」とされてきた。30年以上も経って、ようやく、ある程度、メドがたったらしい。
 東京〜大阪1時間、なんていうのは、まだまだ先か、ポシャる話だろうけど。


 人間や生物を模したロボットは、ここ10年ほどの間に、急に増えてきた。あれは、割とずっと維持されてきた未来像かもしれない。


 1980年頃にサイバーパンクが登場して以来、未来というと暗いイメージが増えたように思う。
 半ば廃墟とか、日の当たらない街とか、地下都市とか、仮想現実世界の中を逃げ回るとか。


 アンチ・ユートピアの話はずっと昔からあるのだけれども、サイバーパンクでかなりガシッと暗さの方向が固定され、そうして、そこで止まっているようにも思う。


 未来像というのは、その時代、時代の世相やムード、流行を反映する部分も大きいのだろう。
 私がガキの頃というと、高度経済成長志向が最後の悪あがきをしていた頃で、まだ量的発展やスピードの進展が説得力のあるテーマだった。
 地球だけでなく、宇宙まで広がっていきましょう、リニアモーターカーで東京から大阪まで1時間で行きましょう、超音速旅客機で数時間でニューヨークに着きます、と、そんな未来を描けたのだ。少なくとも、ガキに対しては。


 私が十代の頃だったと思うが、建築家の黒川紀章が、東京湾に巨大な人工島を作る、という構想をぶちあげたこともあった。
 これはなかなか壮大であって、人工島といっても、東京湾のほとんどを埋め立ててしまうのだ。海の部分は、わずかに人工島を取り巻くお堀として残す。
 いわば、東京湾を、皇居と内堀が巨大化したようなものにしてしまおうという、豪快な提案であった。


 埋立の土は、確か、千葉の丘陵部分を崩すのだったと思う。そうすれば、千葉も平坦になって、一石二鳥ではないか、とまあ、ニッポン国経済復興的土建屋体質丸出しの、公共事業がどうのこうのとミミッちい現在ではとても口にできないような計画だった(あれ、郵便貯金でやるつもりだったのかな)。
 今からすると大笑いだが、そういう乱暴なことを言い出せる雰囲気も、当時はあったのだ。


 どうせなら、日本海東シナ海も埋め立ててしまえば、沖縄や大陸に歩いていけて、便利だと思うのだが。


 今の時代風潮から未来像を描くと、どういうことになるのだろう。環境とか、共生とか、そういうことになるのか。どうも、抽象的でうまく像を結べない。
 ツタのからまったビルで暮らすとか、出社途中に熊と戦うとか、ハンバーガーを立ち食いしていたらニホンザルに奪われたとか、そういう未来なのか。それとも、スローフードかなんか知らないが、だらだら飯を食う、と、そういう未来像を今のガキどもは描いているのか。


 どうもよくわからない。


 かといって、重い年金保険料負担とか、要介護老人が増えるとか、そういうのも、未来像としてはパンチに欠ける。


 私は学者じゃないので当てずっぼうに書くのだが、まあ、未来像なんてものが出てきたのは産業革命以後、たかだか二百年くらいの話なのではないか。それ以前の人間には将来はあっても、未来はなかったような気がする。知らんけど。
 だらだら先が続いて、何となくやり過ごせれば上出来なのかもしれない。人類の人々としては。


 ガキどもの皆様よ、もし私が生き延びちゃったら、そんときはドゾヨロシク。あんまり痛い目とか、苦しい目に会わせないでくださいね。小唄のひとつも教えてやっからさ。


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