高精細

 私の使っているテレビは16型の液晶で、それで特に困ってはいない。


 映画で、戦国時代だのローマ帝国だのの大合戦シーンを、空撮で捉えることがある。
 わーっと両軍攻めていく大迫力が売りなのだろうが、16型で見ると、クロオオアリ対トビイロケアリの戦いにしか見えない。それが悲しいといえば、悲しい。


 しかし、その他にはとりたてて不便を感じていない。


 そんなわけで、悔し紛れに書くわけではないのだが、ハイビジョン。あれ、どうなのだろう。
 最近はどうしているのか知らないが、ハイビジョンが出たばかりの頃、NHKはやたらと紅葉だの、深山幽谷だのを映して、プロモーションをしていた。


 テレビで紅葉を見たがる人って、そんなにいるのだろうか。いや、たまに見る分にはいいだろうけれども、毎日、見て楽しむものでもないように思う。


 ハイビジョンでテレビを見ている人に訊いてみたいのだが、MLBの中継で松井秀喜の顔がどアップになると、どうなのか?
 あるいは、夕食中、たまたまケーシー高峰の顔面が大写しになったら、家族の楽しい夕餉はどうなるのか?
 興味のそそられるところだ。


 少なくとも、テレビ番組が、バラエティ、スポーツ中継、ドラマ、ニュースショー、ワイドショーが中心である限り、あまり高精細な画像は必要ないように思う。
 いや、スポーツ中継だけはリアリティがあって、高精細のほうがいいのかな。松井の顔面どアップを除けば。


 高精細のモニターが求められるのは、テレビより、むしろパソコンだと思う。


 少なくとも私は、ここ数年、パソコンの画面上で読む文字の量が増えた。ブログやニュースソースが多くなったのと、検索エンジンが強力になったためだ。
 画面上で文字を大量に読むと、疲れる。理解力も、本やプリントアウトした文字に比べ、格段に落ちる。


 仕事柄、校正することが多い。プリントアウトして校正すると、画面上では非常に見落としが多いとわかる。
 モニターの性能が上がれば、文字も読みやすくなる。ブログ他、文章は紙上からインターネットへとさらに移るだろうし、文体も変わるだろう。


 ちなみに、私は文章を書くとき、画面上で読む文章と、紙上で読む文章では、少し文体を変えている。


 画面上で読む文章では、やわらかめの言葉づかいで、短めの文にしている(文章のリズムも大事なので、一概には言えないが)。「、」を多めに入れる。一段落の中の文を減らし、ひんぱんに改行する。この日記のように、一行アキをよく入れる。
 画面上で読む場合、文章の読解力が落ちるからだ。


 紙上で読む文章はその逆で、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」なんてふうな文体で書いている(ほら、モニター上で読むと、わかりにくいでしょ?)。


 ともあれ、モニターの高精細化は、ケーシー高峰と文章表現の将来に関わる問題だと思うのだ。


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