たかが、ひらがな一文字となめてはいけない。山椒は小粒でピリリと辛い。涙は大粒でかなりしょっぱい。一寸の虫にも五分の利息がつく、というやつだ(by 坂田明)
何の話かというと、「だ」の字についてだ。
漢字のほうの「だ」の字には、ロクなものがない。「駄目」の「駄」、「惰性」の「惰」、「妥協」の「妥」、「堕落」の「堕」。いきなり身につまされてしまうが、そんなことはこの際、どうでもよい。
漢字のほうは呆れた連中ばかりだが、ひらがなの「だ」は大いに違う。強力な腰砕け破壊光線を発するのだ。
何のことやら、わかるまい。そうだろう。私もさっき気がついたばかりだ。
歌詞の文尾に「だ」をつけたり、「だ」に変えたりしただけで、あっという間に歌世界がぐずぐずに崩れるのである。
試しに、中条きよしの「うそ」でやってみる(以下、なるべく声に出して唄ってみてください。職場で大声で唄い出せば、さらにグー)。
♪折れた煙草の〜吸いが〜らだ〜
あなたの〜嘘が〜わかる〜のだ〜
誰かいいひと、できたのだ〜
でき〜た〜の〜だ〜
いきなりバカボンパパと化してしまうのだ。
次はクールファイブの「そして神戸」。
♪こォ〜べだ〜
泣いてどぉな〜るぅのだ〜
捨てられた我が身だ〜
みじめに、なるだけだ〜
相当、捨て鉢になっていることがわかる。恋に破れて、「もう、アタイ、どうなってもいいの」とヤケッパチになった、しどけない女の姿が目に浮かぶ(いいねえ)。
まあ、それならそれで、原曲のテーマから外れてはいない。
ついでだから、同じクールファイブの「東京砂漠」で行ってみよう。「だ」とは親戚筋の「た」の力も借りる。
♪空が〜泣い〜てるだ〜
煤け〜汚されただ〜
人だ、優しさだ〜
どこへ〜捨ててきただ〜
なんか、水戸黄門に出てくるお百姓さん達みたいな言葉遣いになってしまった。
まあ、「東京砂漠」はおそらく東京で生まれ育った人の視点ではなく(東京出身者は東京をあんなふうには捉えないだろう)、地方出身者の視点による歌だろうから、これまた原曲のテーマから外れていない。時代考証は置いておいて。
その水戸黄門の主題歌はどうなるか。
♪じ〜んせいだ、楽ゥ〜あるだ〜、苦〜もあ〜るゥ〜だ〜
涙の後に〜は〜虹もォ〜出るだ〜
歩い〜てェ、ゆ〜く〜ン〜だ〜、し〜っか〜りィ〜だ〜
自分のみィ〜ちだ、踏ゥ〜みしィ〜めただ〜
どうやら、田舎のお百姓さん達が唄っているらしい。
何だかよくわからん歌になってしまったが、とりあえず、しっかり踏みしめて頑張ったようではある。
黄門様も、きっと満足して旅立たれたに違いない。