年齢不詳

 年齢の話が続くが、大して意味はない。単なる惰性だ。


 どうも、昔から、年齢不詳と見られることが多い。


「昔から」、といっても、幼稚園の頃はそうでもなかった。水色の制服に黄色い帽子をかぶって、保母さん達のスカートめくりに明け暮れる(当時、園児の間で大流行していたのだ)、思えば、純真で汚れを知らぬ日々であった。


 実年齢と、相手側の予測にズレが生じ始めたのは、大学を卒業して、就職した頃だと思う。


 最初に入った会社は、後ろ足で砂をかけるようにして、1年で辞めた。
 ふたつめの会社に入ったばかりの頃だから、23歳のときだ。仕事先の人に「稲本さん、今、いくつですか」と訊かれて、「いくつに見えます?」と訊き返したら、「30くらいですか」と答えられた。
 まだナウでフレッシュでリビドーでクレアラシルなヤングの頃であったから、さすがにムッとして、「違いますよ」と言ったら、「ああ、35くらいですか」と言われた。


 もっとも、仕事の上では、年かさに見られるのは悪いことではない。
 日本には、やや廃れかけているとはいえ、まだまだ長幼の序を重んじるところがある。年かさに見られたほうが、多少なりとも有利な位置に立てる。
 特に、入社したてのワカゾーと思われると、ナメてかかられることもあるから、上に見られて損はない。


 問題はモテ方面だが、これはどうだろう。
 老けて見えると、オッサン扱いされ、嫌がられることもあるだろうし、逆に、頼りがいがあるように思われる場合も、あるだろう。


 ただし、付き合い出せば、すぐに頼りがいと財布の中身はバレてしまうから、老け顔が好み、という女性が相手でなければ、若く見えたほうが得なのかもしれない。


 30歳を越えた頃から、年齢不詳と捉えられることが多くなった。
 仕事で付き合いの長い人々に、「稲本さん、変わらないですよねえ」と言われたことが何度かある。
 もっとも、これには「見た目が変わらないですよねえ」というだけでなく、「相変わらず、どうしようもないですねえ」という言外の意味も込められているのかもしれない。くそっ。そういうことだったのか。今、自分で書いて、初めて気づいた。


 先日、若い娘(娘はたいてい若いが)に年齢を訊かれて、「38だよ」と言ったら、「ええええ、そんなになるんですかあああ」と驚かれた。複雑な心境になった。


 いくらかはうれしい気持ちもあったと思う。
 モテ方面については、今では面倒くささのほうが先に立つ。「別に若く見られたくはないよ」と口では言いつつ、それでも、若い子に若く見られると、いや、なに、その、デヘヘヘヘ、どっか行こうか、とだらしなくなってしまう。まだリビドーな私、は残っているのだろう。
 まあ、若いと言われて喜ぶ、というのが、既にオッサンの証明なのだろうが。


 私のことは置いておいて、実年齢よりずっと若く見える人、というのはいる。
 しかし、一方で、人間、70歳、80歳になれば、まず間違いなく、それ相応の見え方になってくる。


 たとえば、40歳、50歳になっても、30過ぎくらいに見える人がいたとする。
 その人がさらに年をとったら、どうなるのだろう。


 40歳、50歳をすっ飛ばして、30過ぎの見た目→70歳の見た目とワープするのだろうか。たった一晩で、カフカの「変身」のように、「ある朝グレゴリー・ザムザが目を覚ますと、自分が70歳の顔になっていることに気づいた」となるのか。


 それとも、「老年執行猶予期間」とでも言うべき、何歳ともつかない、不可思議な見てくれの過渡期を経て、ゆるやかに、70歳、80歳の顔へと変わっていくのか。ちょっと興味が湧く。


「年齢なんて関係ないですよ」なんてふうに言う人がいるけれど、いやいや、大いに関係している。
 少なくとも、「年相応」という考え方は世の中に大いにはびこっており(私の灰色の腐った脳細胞の中にもはびこっている)、見た目の年齢と実年齢のギャップはあちこちで小さな波紋を起こしている。


 そういう、世の中と頭ン中のややこしさは、まあ、面白いといえば、面白い。


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