私が好きな格言に、SF作家の横田順彌がつくった、この二本がある。
「老婆は一日にしてならず」
「全ての道は老婆に通ず」
真理だ。女性のミナサンよ、諦めが肝腎です。
単にローマを老婆と言い換えただけなのだが、そこには、オリジナルの「ローマは一日にしてならず」や「全ての道はローマに通ず」とは全く別の世界が開ける。
この、「別の世界が開ける」というところが、「内容がナイヨー」のような、“駄”洒落と一線を画す部分だ。
この、ローマ→老婆という手法を使うと、他にも、いろいろな世界を開くことができる。
たとえば、有名なあの映画。
「老婆の休日」
もしかしたら、老婆になると、毎日が休日なのかもしれないが、それはおいておく。
どんなストーリーだろう。
アメリカ人の新聞記者(グレゴリー・ペック)に、老婆(樹木希林)が連れ回される、という話だろうか。
舞台はローマでもよいが、東京でもよい。浅草寺でソフトクリーム食べたり、葛飾の帝釈天で線香の煙を体に浴びたり、ヘアサロンで思い切ってショートカットにしてみていっそう悲惨な見てくれになったり。移動はもちろん、ふたりでスクーター。
何となくだが、名画にはなりづらい気がする。
あるいは、もっとシンプルに、縁側の老婆を定点観測的に撮る、というのでもよい。猫のノミをとったり、編み物したり、うたた寝したり、孫を相手にお手玉してみたり。
こっちのほうが平和でいい映画のような気がしてきた。客がわざわざ映画館で1,800円払ってくれるかは、知らんけど。
こんな有名サッカークラブはどうか。
AS老婆
選手全員が老婆なのだ。キツいね、これは。当然、ここが痛いの、あそこが痛いのと、故障者続出である。
ハンデとして、杖や手押し車の使用も認められる。ピッチ全体を広く使って、老婆がよたよたと徘徊する。
ただ、相手チームが老婆からボールを奪い取ろうものなら、「ひどすぎる」と大ブーイングだから、相手は戦意喪失するかもしれない。
個人的には、ゴールキーパーを務める老婆の動きに注目してみたいです。
しかし、書いていることがだんだん鬼畜化してきたな。
ギボン「老婆帝国興亡史」
老婆によってのみ構成される帝国。超高齢化したアマゾネス集団。その興亡が全10巻にわたって描かれている。
問題は、次世代がありうるのか? ということだろう。80歳で出産、というのは、おそらく、現代医学をもってしても不可能なはずだ。
まあ、そこらへんは奴隷制を導入することで何とかなるかもしれない。
つまり、奴隷が子供を産み、その子が老婆(70歳)になった時点で、初めて市民権が与えられる。
もちろん、男は、一生、奴隷のままだ(ここらへんは現代の日本社会と実質的には変わらないですね、あまり)。
老婆市民の一番の楽しみは、コロッセウムでの大相撲と、公衆浴場での語らいだ。
初期キリスト教徒が迫害を逃れ、ひそかに信仰を守り続けた地下礼拝堂は、「肩凝るべ」と呼ばれている。
帝国内で最も権威を持つ機関は、元老院である。