荒行

 荒行(あらぎょう)というものがあって、男の血を騒がせる。


 古来、修行者によって行われてきたもので、滝に打たれたり、火の中に飛び込んだりと、自ら乱暴なことをするのだ。なぜそんなことをするかというと――実はよくわからない。何しろ、やってみたことがないから。
 あくまで想像だが、乱暴なことをすることによって、一線を越えたある種の精神状態を得ようとするのではないか。知らんけど。


 まあ、身も蓋もない言い方をすれば、無茶をするのだ、あえて。
 無茶のうちはまだいいが、これに苦茶がつくと無茶苦茶となる。さらに、ムをハに、クをメにすると、これはもう、ハチャメチャで、救いようがない。
 今、この文章自体、救いようがなくなってしまったが。


 もとい。
 現代の荒行、というものを考えてみた。


  フジパン本仕込みのCMを24時間見続ける。


 いきなり、相当の荒行だ。

 フジパン本仕込みのCMというのは、松下由樹が「愉快なお姉さん」を演じるぬるーいCMで、私は見るたびに、「コマッタなあ……」と思ってしまう。
 もうベタを通り越し、かといって寒さも感じず、ただただ、ぬるいのだ。あえて言えば、20度に温まったナメクジのぬらぬらした肌触りのようなぬるさ(ぐえええ)である。


 フジパン本仕込みのCM(松下由樹シリーズ)が何本あるのかは知らないが、これを24時間見続ける。しかも、己の意志で。
 相当に鍛えられるはずだ。何が鍛えられるのかは、よくわからぬが。


 もうひとつ、映像を使った荒行。


  毎朝4時に起床し、映画「北京原人」を見ることを百日続ける。


 これを貫ける人、現代の日本に何人いるだろうか。


 映画の「北京原人」自体、知らない人が多いかもしれない。
 現代に蘇った北京原人親子と人々の心の触れ合いを描いた、実にコマッタ映画である。


 1997年、総製作費20億円という日本映画にしては結構な金額と、東映の威信をかけ、結果、見事に威信が砕け散った、あまりに悲しい映画だ。いや、ストーリーが悲しいわけではなくて、存在自体が悲しいのである。
 東映のお偉方は、試写が終わった後、きっと凍りついていただろう。そんなことを想像させる、何とも形容しがたい映画だ。


 私が見た「北京原人」評の中で一番強烈なのは、「金、返せ」ならぬ、「時間を返してください」という切実なものだった。


 あまりに哀れなので、これ以上、詳しく書くのは差し控える。興味のある方は自分で調べてください。
 ただ、私が素早く調べた範囲では、監督の佐藤純彌氏は、これ以後、7年間映画を撮っていない。


 早朝4時に起床し、「北京原人」を見る。もちろん、他のことをしてはいけない。目も背けてはならない。じっと見続ける。それが終わってから、ようやく一日が始まる。それを百日間だ。


 完遂した後、まともな精神状態でいられるかどうかはわからぬが、それでこそ、荒行である。


 次に、メインストリーム系として、滝荒行を現代風にアレンジしてみたい。


  世田谷公園の噴水に白装束で打たれる


 私は世田谷公園に一回しか行ったことがないが、近隣住民にとっての手軽な憩いの場、といった雰囲気の、こぢんまりした公園だ。
 中央部に噴水があり、控えめに、ジョーといった程度に水が上がる。まわりを子供達が笑いながら駆け回っている。


 そんな中、白装束で噴水の中に入っていき、水を頭から浴びるのだ。もちろん、手を合わせ、一心に経だか呪文だかを唱える。
 これは相当な精神力が要求され、また、鍛えられますよ。


 少なくとも、電撃ネットワークに入れるくらいの度胸はつくはずだ。


 次に火渡りの荒行。


  消費者金融で借りた金を、別の消費者金融からの借金で返す。ご利用は計画的に、百件繰り返す


 これこそ、現代の火渡りだと思う。
 荒行としてではなく、いつのまにか、ずぶずぶとそういう羽目に陥っている人もいるだろう。しかし、自らの意志でとりおこなうところに、荒行の意味はある。
 荒行を終えた後、どうなるのかは知らんけど。


 なお、零細企業の社長になると、結構、この荒行に似た気分を味わえることが多いようです。


 現代版火渡りの荒行は、もうひとつある。


  NHKの集金人になる


 少なくとも今、これは、厳しいだろう。
 私も昔、ある企業で集金をやっていたことがある。会社の不祥事のせいで、責任のない自分が責められる辛さはよくわかる。
「おれは悪くないっつーの」とグチのひとつも、どころか、十も二十もこぼしたくなるだろう。


 NHKの集金人の皆さんは、これも精神修養、火渡りの荒行と自分に言い聞かせて、厳しい時期を乗り切っていただきたい。


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