佐賀にお住まいの方、および佐賀を愛する方には申し訳ないのだが、どうも、佐賀県というのはからかわれやすいようである。
昨年だったか、一昨年だったか、はなわの「佐賀県」がヒットした。
佐賀県出身のはなわが、生まれ故郷のイケてなさをネタにした歌だ。もっとも、あれは自虐に見えて、そうではない。道化である。
久本雅美が自分をネタにするのと同じだ。道化と自虐の違いは、笑かす計算を立てているかどうかにある。
そこらへんについては、この私、なかなかの理論派だよ。
さて、なぜ九州の中でも、特に佐賀はからかわれやすいのか。
たぶん、いくつか理由がある。
まず、小さい。
福岡、大分、熊本、宮崎、鹿児島、と、九州には面積の広い県が揃っている。
「九州には大きか県がたくさんあるくさでごわすたい」と、九州男児はフンドシ一丁で腕組みし、豪快な方言で誇るのだ。知らんけど。
しかし、佐賀は小さい。
いや、小さいことが悪いわけではないけれど、やはり、存在感は薄くなりやすい。
長崎もさほど大きい県ではないが、形が面白いし、なんたって、出島だ、異人さんだ、カステラだ、と、日本では小学生の頃からいろいろ刷り込まれる。
そう。そこもポイントだ。もしかしたら、一番の。
佐賀はキャラが立っていない。
東に福岡、西に長崎。どちらも、個性がある。間に挟まれた佐賀は――今、地図帳を広げながらこれを書いているのだけれども――肩身が狭いように見える。
中学や高校にいなかったですか。勉強もスポーツも不得意というわけではないけど、得意でもない。休み時間に、話の輪の中にはいるけれど、なんとなく存在感の薄いヤツ。同窓会で会っても、とっさに名前が出てこなくて、話してみると、たいてい、市役所か県庁に勤めている。
佐賀はそんな感じだ。
個性派揃いの九州の中で、その影の薄さゆえに、かえって話題になってしまう。それが、佐賀のサガなのだ。
それから、有名な土地が少ない。
全国的に有名なのは、伊万里と唐津くらいではないか。それにしたって、陶芸で有名というだけで、「へええ、伊万里って佐賀県にあるんだ」という人も多いのではないか。
「ばってん、佐賀県には伊万里があるんだそうでごわすばいですたい」と、フンドシ一丁の九州男児も、豪快に豆知識をひとつ得るのだ。
最後に、面積が狭い割には、平野部が広い。
地図を見ると、玄界灘に面する唐津のあたりは海岸線が入り組み、小島がいくつも浮かんでいる。行ったことはないけれども、風光明媚かもしれない。
しかし、有明海側の、特に県庁所在地の佐賀市周辺には平野が広がっている。おそらくは、ただただ田んぼの風景が続いているのではないか。
平野部に田んぼが広がっていると、どうしても風景が単調になる。単調→退屈、というイメージを持たれやすい。
平坦な平野の田んぼに、無機的なバイパス、パチンコ屋、という風景の富山県で生まれ育った私にはよくわかる、佐賀県民の心持ちが。
じゃあ、お前の生まれ育ったとかいう富山はどうなのだ、と、佐賀県民に問われれば、富山もあまり語れることのない土地です、と答えるしかない。
しかし、富山は、人々の話題にすら、ほとんどならない。少なくとも、東京では(これが自虐です。道化ではなくて)。
ところが、佐賀は、きちんとネタとして成立するのだ。少なくとも、居酒屋でなら、「佐賀って、どうよ」という話題で、10分はもつ。
だからね、佐賀のほうがきっと幸せなのですよ、イジられるだけ。
全然、フォローになっていないか。
佐賀の方にお願いです。道で会っても、刺さないでくださいね。
佐賀県については他にも語りたいことがあるのだが、長くなったので、明日に譲りたい。