なんかねえ、な言葉

 言葉に対する感覚というのは人それぞれだから、好き嫌いも当然、人によって違う。食べ物の好き嫌いと同じである。


 これから書くのは、あくまで私が「なんかねえ」と感じる言葉だ。いい悪いとか、正しい間違っているとは関係ない。
 言ってみれば、「私はチョコレートが嫌いです」と書くようなものである。だからといって、チョコレートが間違っているわけではないのだ。


 ま、同じくチョコレートが嫌いな人がいたら、同好の士、じゃなくて、同嫌の士を見つけた気になって、少しうれしいけど。


 まず、最近、世間をいろいろと面白がらせている“ホリエモン”。テレビや活字で、この言い方を見るたびに、トホホ、という気になる。
 本人に対する好き嫌いとは関係ない。あくまで、そういうふうに言葉をもじるセンスについてだ。


 もともとは、ライブドア堀江社長が所有する競走馬の名前らしい。命名したのは、堀江社長自身だろうか。だとしたら、堀江社長の言葉のセンスは、私にとっては、なんかねえ、だ。
(付記:馬名は公募でつけたそうです)


 しかし、やがて“ホリエモン”は堀江社長自身を指すようになっていった。ということは、“ホリエモン”という言い方を面白がる人々が大勢いた(いる)のだろう。
 NHKの海老沢元会長を“エビジョンイル”とか“エビ様”と呼んだセンスに似ている。どうも好きになれない。ま、私に何の権限があるわけでもなし、はあ、とため息つくくらいしかできないのだけれども。


ガラガラポン
「こうなったら、ガラガラポンでもう一回、ゼロからやり直すしかないですよ」なんていうふうに使う。これも嫌だ。
 何から来た言葉だろう。商店街の、あのぐるぐる回す福引きからだろうか。


 おそらく、構造改革とか、業界再編とか、社内の抜本的組織改革とか、その手の話の中で出てくる言葉なのだろう。経済や業績の低迷と仲がいい言葉なのかもしれない。
「もう、ナシ! 全て、ナシ! ぜーんぶ、やり直し! ダーッ!!」と、猪木が積み木を蹴散らすような発想は、嫌いではない。しかし、“ガラガラポン”は、なあ。


 ここらへんは、言葉に対する感覚の問題なので、どうして嫌いなのか、うまく説明できないのだけれども。


“とりあえず、相手に話を投げてみよう。そこから、キャッチボールだ!”
 キャッチボールというのは、相手の求めているものや、こっちの企画・提供できるものについて、何度も話し合う、ということを指しているのだろう。このとき、決して、相手が投げ返してきたボールを、バットでカキーンとカッ飛ばしていけない。
 もの凄く嫌、というわけではないけれども、聞き飽きたぬるいギャグのようで、なんかねえ、だ。


“ヤマちゃん、カエリング”
 これは、いわゆる業界用語だと思う。「ヤマちゃん、おれはこれで帰るよ」ということを、こんなふうに言う。
 私は業界ノリというのが、あまり好きではない。プライドや誇りとは関係のない、変な優越感のようなものや、馴れ合いを感じるからだ。


 ここに挙げたほとんどの言い回しが、いわゆるオヤジ・ギャグ的センスから生まれるものだ。
 オヤジ・ギャグは、オヤジと会社と居酒屋がこの世に存在する限り不滅なので、どうにもできない。ため息ついて、やり過ごすしかないのだ。


 ま、私も、気づかぬうちにオヤジ・ギャグを吐いている恐れはあるけれども。


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