♪チャラッカチャンタ〜ラ

 音楽の好きな人には割にあることと思うが、頭の中でずーっと曲が鳴り続けるときがある。下手すると一日中、断続的に一曲が繰り返されるのだ。


 ここ四、五日、それでいささか困ったことになっている。


 頭の中で響き続けているのが、小唄というのだろうか、志ん朝の「愛宕山」で出てくる唄なのだ。


 たいこ持ちの一っ八が、旦那に連れられて、京の愛宕山に登る。長い山道なのだが、登るなんざ朝飯前、唄っているうちに頂上に着いちまう、と調子のいいことを言って、こんなのを唄いながら登っていく。


♪チャラッカチャン、チャラッカチャン
 山で知るのはサ〜、うさ〜ぎじゃあないかサ〜
 何のうさぎ〜だ〜、こりゃサの〜サ〜
 雪の〜かたまり、サイサイサイ
 チャラッカチャンタ〜ラ
 チャラッカチャンチャ〜ラ
 チャンチャ〜ラチャン


 チャラッカチャンタ〜ラ、チャラッカチャン
 こんな山なんざサ〜、驚〜く〜ことはない
 二つ重ね〜といて、こりゃサの〜サ〜
 ひと〜また〜ぎ、サイサイサイ
 チャラッカチャンタ〜ラ
 チャラッカチャン


 これでは聴いてない人には、さっぱりわからないだろう。
 といって、採譜するのも面倒だし、だいたい、こういう日本の古い唄は、音と音のつながり具合がミソだから、五線譜で見てもうまく伝わらないだろう。


 ともあれ、この浮かれた唄が頭にこびりついて離れないのだ。下手すると、扇子広げて踊り出しかねないくらいである。まともな社会生活を送るのに、いささか支障をきたしている。


 都内および近郊で、こんなの唄いながら、扇子舞わせて浮かれ踊っているバカを見かけたら、それはたぶん私である。


 ここで、ちょっとしたテクニックを披露しようか。
 といっても、私が発明したものでもなんでもなく、落語の聞き書きではよく使われている手法だ。ンや小さいカタカナを入れて、調子を表現するのだ。


♪チャラッカチャン、チャラッカチャン
 山で知るのンはサァ〜、うさ〜ぎンじゃアないかサァ〜
 何のうさぎン〜だ〜ェ、こりゃサのォ〜サァ〜
 雪ンのォ〜かたまり、サイサイサイ
 チャラッカチャンタ〜ラ
 チャラッカチャンチャ〜ラ
 チャンチャ〜ラチャン


 チャラッカチャンタ〜ラ、チャラッカチャン
 こんな山なンざサァ〜、驚〜くゥ〜ことはない
 二つゥ重ねェ〜といて、こりゃサのォ〜サァ〜
 ひとン〜またァ〜ぎ、サイサイサイ
 チャラッカチャンタ〜ラ
 チャラッカチャン


 やや大げさにやってみた。だいぶ、節っぽさが感じられるようになったでしょ?
 なお、志ん朝がこういうふうに唄っているわけではないので、念のため。


 私が聴いている「愛宕山」はCDのジャケットによれば、1978年4月6日の録音。志ん朝、40歳のときだ。この唄もそうだが、噺自体も名調子で、凄いグルーヴ感がある。
 リズム、調子で乗せていくのが古今亭系統の特徴だそうだけれども、この「愛宕山」はその最たる例だと思う。


 志ん朝が亡くなったとき、談志が「あれはエネルギーでやる芸だから、年をとってくると厳しい。今、死んでよかったんじゃないですか。死んだんだから、そう言うしかない」というようなことを語っていた。談志らしい、皮肉っぽいけれども愛情と惜別の念のこもった言葉だと思う。


 確かに、晩年の志ん朝(63歳で亡くなった)は、よく言えば落ち着いた語り口調だけれども、どこか元気がなかった。調子のよさやグルーヴ感は減ったように感じる。
 客を名調子で乗せていく、という点では三十代後半から五十くらいまでがよかったのかもしれない。いや、いちいち年齢を調べてから聴いたりはしてないから、正確にはどうだかわからないけれども。


 それにしても、こういう楽しい唄が、落語くらいにしか残っていなくて、日常に存在しないというのはもったいない。
 まあ、花柳界には今でもあるのだろうけれども、なかなか芸者あげて遊ぶ、なんてこともできないしね。


 普通に飲み会とかで、こういう唄ァ繰り出して盛り上がりたいなあ。