昨日、某所で密談をしていて、大阪の南港の話になった。
その場にいた全員が、大阪についての土地勘をほとんど持っていなかった。かろうじて、私の親戚が大阪にいて、子供の頃、年に1回行っていた程度である。
先に断っておくけれども、これから記すことに、大阪方面の方々はあるいは不快感を覚えるかもしれない。
しかし、謀議に参加していた者に、多少の毒と偏見はあっても、悪意と知識はなかった。知らないということはドストエフスキー作「罪と馬鹿」なのである。あらかじめ、土下座しておく。
以前、この日記のどこかで、「大阪のカップルは別れ話になると、夜、南港というところに行く習性があるらしい」と書いたことがある。
上田正樹の「悲しい色やね」の歌詞にも、「さよならをみんなここに捨てにくるから」という文句があった。キーボーが「みんな」と言っているんだから、これはやっぱりみんな捨てにくるんだろう。
発端は、それであった。
大阪の人口は、今、素早く調べると、大阪市が2004年9月1日の市による推計で約263万人。大阪府が同じく2004年9月1日の府による推計で約884万人。相当数のカップルが存在し、相当数の別れ話が持ち上がっているものと推測される。
で、ですね。その別れ話をする人々がぞろぞろと集まってくるとすると、夜の大阪の南港というところには、別れ話をするカップルが鈴なり状態になっているのでしょうか。
あるいは、電線に留まる雀のように、だーっと横一列になって、各ペアが別れ話をしていたり。それでもって、あちこちで「パシン!」、「パシン!」と女の平手打ちの音が響く。「あんたなんか、嫌いや!」、「サイテーや!」、「お金は返してもらうで!」という叫びが、そこここで発せられる。
えらいヤカマしいことになっているんじゃないか、と、そういう話になった。
さらに、埠頭に人々が密集すると、これは当然、危ない。警察も、業務上、整理に出なければならないだろう。
パトカーの拡声器から野太い声で、「アー、こちらは南港警察(そういう警察署があるかどうかは知らない)。そこの別れ話しているふたり。危ないから、もう少し下がって。そこのチェックの服のふたり、下がりなさい! 危ないから、下がって! 別れ話をするのに、ペアルックで来てはいけません!」と、まあ、そこまで立ち入ったことは言わないだろうが、当然、そういうことも考えられる。
この人々の交通手段も問題になった。
クルマで来たとする。別れ話をした。別れた。そうすると、片方はクルマで帰れるが、片方は残される。当然の助動詞である。
そうすると、残された方を乗せようと、白タクが列をなすんじゃないか。でもって、女性だったら生駒の山ン中かどこかに連れていかれて(何しろ、その女性はさっき男と別れたばかりですから)……えー、新しく優しい彼氏ができて、丸く収まる、と、そういうちょっといい話もありえないではない。
さらに、だ。大阪を舞台にした若き血潮系の映画を見ると、大阪のヤンキーの人々はしばしば決戦の場として南港を選ぶようだ。
また、ヤクザ映画でも「大阪南港の水は冷たいで」という決まり文句があったように思う(あのセリフ吐いている人は、やっぱり身をもって体験しているのでしょうか?)。
となると、夜の南港というのはどうも大変なことになっているようだ。
別れ話のカップルが押し合いへし合いで、平手打ちと悪態を盛大にやっている。警察がそれを整理している。白タクが別れ話の終わるのを待って、並んでいる(警察のいるところに白タクが堂々といるのも変だが、そこはそれ、府警の伝統というのも絡んでいるのかもしれない)。横ではヤンキーが集団で鉄の棒を振り回していて、ヤクザが簀巻きをどんどん放り込んでいる。
人が集まるところにはビジネスチャンスが生まれる。
「ハイ、お兄ちゃん、この先なら駐車場空いてるよ」と、駐車場に案内し、いくらか仲介料をせしめる者も表れる。
大阪であるからして、間違いなくたこ焼きの屋台が出る。いいねえ、別れ話の後ろで、今や遅しと待ちかまえるたこ焼き屋。
どころか、お好み焼き、とうもろこし、飴細工、ポテト方面、お面屋、金魚すくいと、屋台がずらーっと並ぶ。もう少し時代が早ければ、山田洋次監督は、間違いなく「男はつらいよ」の舞台として選んだだろう。
とまあ、そういうさまざまな人生模様が交錯する、というか、こんがらがってわけがわからなくなっている土地が南港じゃないか、ということになった。
正しい情報を求む、わけではない。こういうことは勝手に想像して、うひゃうひゃ笑っていればいいのだ。