アドリブ2

 私が文章で一番影響を受けたのは、ジャズ・ピアニストの山下洋輔のエッセイだ。影響を受けたといっても、もちろん、あんなに躍動感のある文章を書けるわけではないけれども。


 その他にも、いろいろと文章は読んできたから、いろいろなものが入り交じって、スケールダウンし、ひねこび、ねじれ、矮小化され、ダメになり、恥知らずにも厚顔無恥にさらけ出し、馬鹿のうえに阿呆が重なって、いかんともしがたい地点まで滑り落ちた末に、今、こんなふうな文章を書いているのだろう。
 が、この人、と名前をあげられるのは山下洋輔だけである。


 端的には、フレーズをしばしばパクっている。開き直っちゃいかんか。しかし、もうちょっと、姿勢的なこともあるように思う。


 初めて山下洋輔の文章を読んだのは、「ピアニストを笑え」(新潮社、ISBN:4101233012)で、中学生のときだった。
 大げさにでなく、衝撃を受けた。ゲハゲハ笑いながら、「文章って、こんなんでもいいんだ」と、たぶん、そんなことを感じたのだと思う。


 「こんなんでも」というと低く見ているようにも読めるけれども、そうではない。それまで読んでいた「作家」の(といっても、星新一とか筒井康隆とかSFが多かったけど)文章とは明らかに違う躍動感があった。
 なぜそうした躍動感が生まれるのか、当時は考えもしなかったし、今も自信を持って答えられるわけではない。


 昨日、エラソーに「自分が書いたことに触発される」というようなことを書いた。

 山下洋輔の本業はもちろん、ジャズ・ピアニストで、今に至るも異様に躍動感のある演奏をする。聞くと、自分やまわりが出した音に対して触発されまくっているのを感じる。
 心の躍動のレベルが非常に高い人で、一方でそれを制御する精神力(嫌な言葉だが他に思いつかない)も持ち合わせている。
 そのことが、あの人のハチャメチャになりながらまとまるという演奏につながるのだと思う。同じことは文章にも言える。


 山下洋輔がアドリブで文章を書いているのかどうかは知らない。
 ワープロを使う前は下書きして清書していた、と何かに書いていた記憶があるから、できあがったものは少なくとも完全なアドリブの結果ではないだろう。


 「ピアニストを笑うな!」(晶文社ISBN:4794951574、今度は笑っちゃいけなくなりました)には、「頭の中の言葉の出てくる場所は音楽をやるところとは全然違うという感じが最近はしている」という文がある。


 だから、あの文章の躍動感がアドリブの故なのかどうかはわからない。ただ、自分が書いたこと、あるいは考えたこと、感じたことに瞬時に反応する姿勢は持ち続けているんだろうと、勝手にこちらは推測している。


 まあ、アドリブで書くといっても、私のは書き飛ばし。それより何より、元々の人間としての出来がマルデダメヲなので、ああいう文章が書けるようになるわけがない。


 それでも、ウニウニとでも続けていれば、這いずりながらでもどこかに行けるかもなあ、行けたらラッキーだなあ、と思って、こんなふうに今日も書き散らしているわけであります。


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