新札の絵

 まだ生では見ていないが、新しい千円札に樋口一葉の肖像が刷られているそうだ。
 別に文句はない。いい落としどころだと思う。


 樋口一葉は、なかったことになっている二千円札を除けば、千円札以外には登場できないだろう。
 貧乏だった人である。なりも粗末だ。しかも、文章は軽い。五千円札や一万円札向きの作家ではない。


 軽いというのは、少し語弊があるかな。やわらかく、それでいて強さもあって、しなやかな文体である。
 文語体というか、草紙ものの流れから来ている文章だと思う。最初は読みにくいかもしれないが、慣れると、リズムが心地よいので、すらすら読める。


 他の作家が、もし新札の絵になったら、どのお札がふさわしいだろう。


 石川啄木は千円札か。やはり貧乏だったし、線が細いからねえ。貧乏になったのは、浪費家だったせいもあるらしい。


 森鴎外は一万円札だろう。よく並べられる夏目漱石が先に千円札になったけれども、あの人の場合は多くの人が顔に馴染んでいて、しかも猫の人だから、千円札でも通用する。
 森鴎外はどこかエラソーで超然としているので、やはり一万円札がよい。


 田山花袋って、顔を知らないけれど(小説も「蒲団」というタイトルしか知らないけど)、まあ、認知度から言って、五千円札がふさわしいだろう。五千円札はニッチなお札だからニッチな人が合う。
 二葉亭四迷も五千円札向きだ。


 その点、外国へ行って、ブシドーがどうたらこうたらと自慢してきた新渡戸稲造は五千円札にふさわしかった。五千円札になるまで、知らなかった人も多いんじゃないか。
 恥ずかしながら、私は知りませんでした。


 野口英世はメジャー度から言って、千円札でも行けたと思う。まあ、一葉を五千円札に回すわけにはいかないから、ああいう形に落ち着いたのだろう。


 お騒がせシリーズのお札をつくると、誰がいいだろう。


 千円札 阿倍定(補欠:八百屋お七
 五千円札 薩摩治郎八
 一万円札 石川五右衛門


 なんか、こっちの方が面白そうだなあ。タクシーで、
「すみません、五右衛門になっちゃうんですけど」
「阿倍定ないんですか」
「ないんですよ。あ、治郎八ならありました」


 馬鹿馬鹿しくて、いいと思う。


 ところで、土日は日記の更新ができません。いらしてもムダのことよ。


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