何をしたいのですか

 世間一般に褒めそやされるタイプ、というのがある。
 たとえば、頑張る人。努力する人。一生懸命な人。意志が強い人。夢を持つ人。


 もっとも、実際に褒めそやしていいかどうかは、「何について」と「結果どうなったか」も含めて判断しなければならない。
 例えば、「酒池肉林の夢を持って、一生懸命に強盗して資金をつくり、強い意志を持って世界征服を成し遂げ、頑張ってたくさんの美女を集め、努力して池を美酒で満たし、肉を庭の木々の枝に刺した人」は褒めそやしていいのだろうか。


 なんか、そこまでいけば天晴れ、褒めそやすべきだという気にもなってきたな。


 何を言いたかったというと、えーと、要領の悪いやつが“頑張って”徹夜して仕事をし、でも徹夜仕事だから、アラだらけ、しかも、次の日には使い物にならず。というのと、要領よくさっさといい仕事をやって、後は遊びほうけているやつ。
 どっちを褒めそやすべきかというと、これはやっぱり、後者だろう。


 ところが、どういうわけか、「頑張った」、「一生懸命だ」、というだけで褒められることが多い。成果より、姿勢の方に重きが置かれる。ソリャドウカネ、と思うのだ。


 「〜をしたい」と、自分のやりたいことが明確な人も褒められがちだ。
 もっとも、「飯、食いたい」とあまりに即物的なのはダメである。あるいは、「どこぞの一家四人を皆殺しにしたい」という物騒なのも、さすがに無理だ。フツーのサラリーマンが四十歳にして、突然、「国際線のパイロットになりたい」と言い出したら、家族は必死に止めるべきである。


 清く、正しく、長期的な視野でもって「〜をしたい」と言える人は、結構、褒めてもらえる。私は、実現へのロードマップがある程度、描けているならば、と注をつけたいが。


 で、ですね、ここから急に話がダメになるのだが、私にはこの「何をしたい」というのが、ほとんどない。
 今朝、そのことに気づいて、唖然とした。


 いや、まったくないわけではない。


 清貧でいられるほど無欲ではないので、お金はある程度、ほしい。だから、仕事はする。
 会社勤めはとてもできない体だから、フリーではいたい。
 病気で苦しくなると苦しいので、あまり苦しくない状態でいたい。
 退屈な仕事は嫌なので、まあ、今の仕事は続けていたい。


 しかし、どれもネガティブな理由によるものだ。
 「日本一おいしいパン屋になりたいです!」、キラン(目が輝く)、なんていうポジティブさは、かけらもない。


 私はポジティブさをどこに忘れてきたのだろうか。
 来し方を思い返してみても、思い当たらない。んー、もしかしたら、母親の子宮の中だろうか。思えば、どろんと濁った魚の目をした赤ん坊であった。


 次に生まれてきた妹が「お兄ちゃん、忘れ物だよ」と、ついでに持ってきてくれたらよかったのだが、あやつのほうは「兄への心遣い」というものを子宮の中に忘れてきたので(粗忽な兄妹だ)、そうはいかなかった。


 かといって、今から取りに戻るわけにもいかない。
 まあ、これからもナマコのごとく、ただ転がって生きていくしかないようです。


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