引っ越しをする度に感心することがふたつある。
ひとつは、さして広くもない部屋に、よくまあ、これだけ物が入っているものだ、ということである。
引っ越しの前に不要のものを捨てる。
なので、うっかり自分をゴミ捨て場に置き去りにしてしまい、ゴミ回収車に放り込まれそうになった。危ういところだった。
ゴミ袋いくつ分を捨てたか、数えてはいないが、片手では足りなかったと思う。
その他、古本、ボロボロの道具類などを処分して、必要なものだけ新居に移したのだが、それでも結構な量になった。
普段から不要な物をこまめに捨てるようにしていればいいのだが、面倒くさがりだと、ついため込んでしまう。
もうひとつは、これも量の話なのだが、コード類の多さだ。
普段、外を歩いているとき、電線というのはあまり気にならない。しかし、高いところから町を見下ろすと、ありとあらゆる場所に張り巡らされた電線の量に圧倒される。
それと同じように、部屋の中のコードをまとめると、いやはや、随分、あるものだ。
でもって、これがヤケにからむ。一本のコードでもからむうえ、他のコードともからむ。エサにたかる養殖ウナギの大群みたいになって、わけがわからない。
私は鍵穴に鍵を差すのを失敗するくらい不器用で、コードをほどくなんて、難行苦行の類である。
しかも、面倒くさがりのうえに短気なので、すぐにイーッとコードを引っ張り、強引にほどこうとしてしまう。
思うようにいかない幼児が、よく似たような行動をとりますね。
しかし、これは当然、事態を悪化させるだけで、もつれていたコードが球のようになってしまう。
いっそう苦労をしなければならない羽目になる。あゝ野麦峠。
戸梶圭太の「天才パイレーツ」に、確か、からんだ紐類をほどく天才というのが出てきた。
こやつは、しかしその他のことについてはほとんど無能で、非常に迷惑な存在ですらある。
彼でもいいから、いてくれないかと思う。
部屋で球状になったコードをチビチビほどいていると、「人間にはもっと大切なことがあるんじゃないか?」ということを考える。
しかし、もっと大切なことをしても、コードは球のままでいるだろう。
コードをほどくような、つまらない行為の繰り返しが人生だ。
と、ニヒルにキメて終わらせようかと思ったが、浅い人間が書いても、やっぱ、響かないですね。