無視する

 ハイジャックに対して政府がとるべき基本的態度は、「要求を飲まない」ということだそうだ。


 要求を飲んで成功事例をつくってしまうと、他にもマネするやつが出てくる。
 後に続くケースが2つも3つも出てくるくらいなら、最初の1つで犠牲者が出た方がマシだ、と、まあ、要するに「量」の理屈なわけだ。


 もちろん、人質や人質を愛する人々からすると非情な話だ。なぜなら、彼ら・彼女らにとって、ハイジャックは命のかかった「質」の問題だからである。


 政府も、人質を救うべく、あれこれ手は打つ。
 しかし、説得などの効果がない場合、最終的に特殊部隊が突入する。人質に犠牲者が出る可能性は高いが、いくらかでも救えれば、全滅よりマシ、という考え方だ。これも、「量」の理屈である。


 まあ、要するにハイジャックにあったら、「運が悪かった。仕方がないので、諦めなさい」ということなんですね。


 ハイジャックからもう少し幅を広げて、テロリズム、となると、対処の仕方も広がってくる。
 やられる前にやっちまえ、疑わしきは出かけていってノシちまえ、という勇ましい、あるいは乱暴な政府もある。


 が、これにしたって、テロリストが狙うのは恐怖という「質」で、政府の対処の仕方は数を減らすという「量」の問題であることは変わらない。


 ま、テロが起きる構造をなんとかする、という政府の「質」的取り組みもあるだろうけど。


 ここから急に、分相応のスケールの小さな話になる。


 街によくビラ配りをする人がいますね。


 非常に邪魔くさい。
 しかも、もらったビラが私にとって有益な情報だった試しがない。


 なので、私は基本的にビラを受け取らないことにしている。
 ああいうものは効果をなくして、絶滅させた方がいいと思っているからだ。


 しかし、私は心優しい。歩く人情噺と言われているくらいだ。街ですれ違う人々が次から次へと涙ぐむので、いつも往生している。


 そんなわけだから、バイトの人々が差し出したビラを無視すると、心が痛む。申し訳ない気になる。
 つい情にほだされて、ビラを受け取ってしまうこともある。そんなときは、己の心の弱さが嫌になる。


 あのビラ配りというのは、受け取らないと悪いことをした気にさせる作戦なんじゃないか。こちら側の申し訳ない感情という、「質」を狙っているのではないかと思う。


 つまり、あれはプチ・テロリズムなのだ。いや、テラー(恐怖)を引き起こすわけではないから、プチ・モウシワケナサシズムとでもいうべきか。


 そうして、私は無視することによって、ビラ配りの「量」を減らそうと考えているのである。モウシワケナサシズムとの戦いは、始まったばかりだ。


 ビラ配りには屈しない。


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