住むところ

 昔に書いたことのある話なのだが、もはや覚えている人も少ないだろうから、再び書く。話の再生利用。セコい手である。


 またしても、落語の話から入る。


 何しろ、私の今の生活は、仕事して、落語を聞いて、飯を食って、眠って、いろんなことをやって、という具合だから、仕方がないのだ。


 3年前に亡くなった志ん朝は、住んでいた土地から「矢来町」と呼ばれた。高座にあがると、「矢来町ッ!」、「待ってましたッ!」なんていう声がかかることもあった。


 黒門町といえば、これは先代の桂文楽のことである。おそらく、「黒門町の師匠」と言っていたのが、長ったらしいので「黒門町」になったのだろう。


 立川談志は下丸子に住んでいるので、高座に上がると、「下丸子ッ!」と声がかかる……ことはない。
 ここらへんの感覚は、東京近辺の土地勘がないと、わからないかもしれない。


 知らないけれども、落語家に「矢来町ッ!」なんてふうに声をかけるやり方は、歌舞伎から来たのかもしれない。


 歌舞伎のことは全然知らないのだが、「成駒屋ッ!」、「音羽屋ッ!」なんていうふうに屋号で声がかかることくらいは知っている。
 一方で、住んでいる土地で声をかけることもあるらしい。「仙台坂」は誰だったか……。


 しかし、そうだとすると、有名な歌舞伎役者は、引っ越すとき、まず町名を気にしなければならない。いくらその土地が気に入っても、芝居の最中に「中央林間ッ!」などと声をかけられては、台無しだからだ。


 近い将来の話だ。東京中央部の地価が再び上昇し始め、またオフィス利用がさらに拡大する。
 ビルだらけになってしまって味気ないというので、歌舞伎役者達は郊外に住むようになった。


 大物役者達の夢の共演。こんな豪華で素晴らしい芝居はないというので、客席からバンバン声がかかる。
 「三鷹ッ!」、「武蔵境ッ!」、「東小金井ッ!」、「武蔵小金井ッ!」、「国分寺ッ!」、「西国分寺ッ!」、「国立ッ!」、「立川ッ!」、「西立川ッ!」、「東中神ッ!」、「中神ッ!」、「昭島ッ!」、「拝島ッ!」、「東福生ッ!」……中央線から青梅線を経て、八高線に乗り換えた頃にはみんなくたびれた。


 私もくたびれた。


▲一番上の日記へ