「腹を割って話をする」という言い回しがある。
文字通りに受け取ると、かなり気色悪い。
私はなぜか西郷隆盛が切腹して、腸だの、胃だの、肝臓だのをはみ出しながら、話しているところを想像する。
自分で書いて、気色悪くなってきた。
たぶん、事情とか思惑というものは腹の中にあると考えられていたから、ああいう言い回しが生まれたのだろう。
「腹に一物(いちもつ)」という言い回しもある。「腹に一物、手に荷物」というのが、世渡り上手の基本姿勢と言われている。
今、私が言ったのだが。
事情、思惑が腹の中にあるのに対して、思いというのは胸にある。
「熱い思いを胸に」なんて、私には無縁の世界だが、そういう言い方もある。
あるいは、「悲しみで胸がいっぱいになる」とか。
あれはやっぱり胸でなくてはならなくて、「悲しみでお腹がいっぱいになる」では、どうもいけない。
考え、なら、これは頭の中だ。胸や腹ではない。
「腹を割ってアイデアを取り出す」なんてやつはあまりいない。腰で考えるという人がいても、まあ、悪いわけではないが、それでは恐竜である。
以上、まとめて見ると、
事情、思惑 → 腹
思い → 胸
考え → 頭
ということが判明した。
こうやって見てみると……ハテ、何がわかるのだろう?