悲観・楽観

 どうも相変わらずのワタクシばなしになってしまうが、ワタクシは長期的には楽観的だけれども、短期的には悲観的である。
 だいたい、長期的に楽観的でないと、個人で仕事などやっていられない。


 悲観的だとどうなるか。


「来年から仕事がなくなったらどうしよう。今の貯えじゃいくらも保たないし、かといって、今さらサラリーマンに戻れる体じゃないし。満員電車なんかに乗ったら、オッサンの饐えた臭いで確実に倒れるな、おれ。
 たとえサラリーマンになったとしても、飛び込み営業に回されたらどうしよう。おれにできっこないや。しかも、商品が電話の受話器の臭い消しリングだったりして。そんなもの、売れっこないよな。『あの、ちょっとお話だけでも』、『なんだい、忙しいから、帰ってくれ』、『そこんところを何とか』。粘って、粘って、商品を出した瞬間に箒で叩き出されるな。
 外は、炎天下だ。ゆらゆら歩いているうちに熱中症でふらっと来て、倒れかかった相手が、たまたま薄着のオネエチャンだったらどうなるんだろ。『何すんの、この痴漢!』って警察に突き出されて、留置場に放り込まれて、当然、会社はクビ。えん罪のまま、裁判に負けて、刑務所に行って。
 ああいうところは、やっぱ、あれかな、オカマ掘られるのかな。映画見ると、そうだよな。嫌だな。刑務官にもイビられるんだろうな。新聞にそう書いてあったしな。
 出所してからがまた大変だ。世間の目は出所者に冷たいっていうから……」


 もう、その場で世をはかなんで、永平寺に行ってしまう。


 ラッキーなことに、「先々のことはどうせわかんないし、ま、何とかなるだろ」という気でいる。
 まあ、楽観的というより、何も考えていない、という方が正しいが。


 短期的に悲観的なのも事実で、プレゼンテーションや気を張る打ち合わせの前は、「失敗したら、どうしよう」と不安になる。
「来年から仕事がなくなるかもな。今の貯えじゃいくらも保たないし、かといって……」
 さっき書いたので、以下、略す。


 ともあれ、「うまくいく」という自信より、「失敗するかも」という心配の方が先に来る。いっそ、メキシコに逃げちまおうか、と思うくらいである。


 こういう性分というのは、どうもよろしくない。


 プレゼンテーションや打ち合わせだけでなく、家で仕事をするときでもそうだ。
 私はコピーを書く仕事が多いのだが、「いいコピー、書けそうな気がしないな」と、考える前から悲観してしまう。「いっそ、メキシコに……」。


 まあ、ありようは単なるナマケモノで、仕事をするのにエンジンがなかなかかからないだけなのだが。「仕事をしたくない」を「いい仕事をできそうにない」と自分ですり替えているのだ。


 そんなわけで、今も、こうやってカタカタ日記を書いてゴマカしているのである。