芸風

 ネタとネタの間に、権太楼自身が解説のようなことをやる。これが、実際に落語と格闘している人ならではの話で、面白かった。
 落語家の系統別の傾向を教えてくれた。


 古今亭系統の落語というのは、リズムで乗せていくのだそうだ。
 権太楼は志ん朝のやり方を例にしていたが、確かに、志ん生にしろ、志ん朝にしろ、気持ちいいリズムでくいくいと噺を進めていく。


 後で、志ん生志ん朝を聞き返してみたが、確かに、語りの抑揚、リズムのメリハリがかなり強い。
 歌っているみたいで、スウィング感があるのだ。
 志ん朝をしらふで聞いていても、酔ったみたいないい心持ちになるのは、そのせいだろうか。もっとも、その親父の志ん生は、本人が高座で酔っぱらっているけれども。
 軽く、陽気で、私はどうやら、古今亭系統のやり方が好きなようだ。


 志ん生には師匠が何人もいて、また、師匠べったりではなかったようだから、そうしたリズム感は、もしかしたら、志ん生の発明なのかもしれない。


 権太楼によれば、三遊亭円生は、古今亭に比べると、もっとどっしりしている。確かに、みっちり噺を仕上げた感じで、リズムのよさはあまりない。
 もっとも、三遊亭を頭に冠する落語家はいっぱいいるから、円生の芸風がすなわち三遊亭の芸風なのかどうかはわからない。


 権太楼は柳家小さんの弟子である。柳家系統はあまり体の動きがなくて(権太楼は、「私はだいぶ外れていますけど」と笑っていた)、心理描写に重きを置くのだそうだ。


 ある種、誰にでもわかりやすい落語なんだろう。あまり粋な感じはしない。


 私はもっぱら、小さんの噺をイメージしながら、これを書いている。柳家もいっぱいいるから、全員が全員そうなのかどうかは、わからない。


 私は小さんをあまり好きではなかったけれども、権太楼さんはなかなか楽しい。たぶん、子供でも、大人でも、初めての人でも楽しめると思う。


 大げさな表情で笑わせるようなところは、やっぱり、小さんの弟子なんだなあ、と思った。


▲一番上の日記へ