品のあるなし

 昨日、友達と3人で飲みに行った。名乗るほどのやつらではないので、仮にパーとプーとしておこう。


 どういう経緯だったかは忘れたが、「品(ひん)」とは何かという話になった。


 なぜだか、私は「取材」的態度になっており、「品のあるなしってどういうことですか」と質問してはメモをとった。


 今、そのメモを見ながら、この文章を書いている。


 「品のいい女性って、女優で言うと誰ですか」と質問してみた。
 パーによれば、「桃井かおり」だそうだ。


 いきなり意外な線をついてきたので、もう少し詳しく聞いてみると、最近、桃井かおりが自分についての雑誌を出しているのだそうだ。その中で、昔付き合っていた男としれっと対談したりしていて、そういうところが「品がある」んだそうだ。


 うーん、わかったような、わからないような、である。


 パーいわく、「自叙伝ではなくて、雑誌にするところがいいんだ」。
 そう言われてみれば、そんなものかもしれない。自叙伝を書くということは、下品とは言わないまでも、どちらかというと上品な行為に感じられない。


 プーは昔、海外に何年か住んでいたことがある。そのとき、その国の女性は品がない、と感じたそうだ。
 「あいつらには、日本人の作法がない!」。当たり前である。


 しかし、実はこれ、重要なポイントをついている。
 慣れない文化を持つ人々の振る舞いは、最初、「野蛮」と感じがちだ。
 野蛮とは、文化の枠からはみ出ていることを言う。日本で生まれ育った人間の文化の枠と、向こうの人々の文化の枠はズレているから、相手のことを「野蛮」と感じる。
 向こうも、こちらの何気ない行為を「野蛮」と見ているだろうから、お互い様である。


 相互理解、などというと朝日新聞的よいこ発言になってしまうが、まあ、こういうことはお互いに謙虚、寛容になって、慣れるしかないのだろう。


 パーは、サッカー日本代表のユニフォームを着る「サポーター」(この言葉、口にしたり書いたりするたびに、気恥ずかしくなる。なぜだろう?)を嫌い抜いている。「あいつら、品がない」。
 私も、日本代表の試合を追って、あちこちの国に出かけ、日本代表のユニフォームを着て応援する人々のことが、あまり好きではない。


 なぜ品がないのかについて、いろいろ話した結果、「尻馬に乗っているからだ」という結論になった。


 プーによれば、「モネ展にひとりで来るやつは品があるが、団体で来るやつは品がない」のだそうだ。これも、サッカー日本代表のユニフォーム付きサポーター問題に通じるかもしれない。


 世の中には日本代表のファンが多く、どうも、さっきから地雷原を歩き続けている。
 言い訳しておけば、パーも私もサッカーの日本代表の選手達は嫌いではない。応援することも、別に構わない。
 ただ、お揃いのユニフォームを着てワーワーやるのは、「どうよ?」と感じるのである。


 パーもプーも私も、個人主義的な傾向が強いからかもしれない。いや、そんなエラソーなことではなくて、たぶん、めいめい勝手にやることが好きなのだろう。


 昔々、日記に「品があること」の条件として、


・自分の中に凛とした決めごとがある。あるいは守るべき一線を保っている。
・行動の中に人に対する配慮や優しさ、愛情がある。
・さもしさや物ほしげなところがない。


 と書いたことがある。確信は持てないけれど、今も、おおむね、そんなところかな、と思っている。


 メモを見ると、プーの意見として、「(上品、下品の違いは)空気が読めるやつ、読めないやつ」と書いてあった。
 これ、私への当てこすりだったのかもしれない。今頃、気づいた。


 クソ。覚えてやがれ。ナニをナニしてナニするぞ。1万円くれたら、ヘヘ、許してやるよ。


 ……と、こう書くと、ほら、品がないでしょう?


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