自分の話ばかりする人というのがいて、会話すると、退屈になることがある。
自分の話以外をしているように見えて、実は自分の考えを一方的に押しつけているだけだったり、知識のひけらかしだったり、という人もいる。これもまた、退屈だ。
一方で、自分の話をしても、とても面白い人がいる。
何が違うのだろうか。
本人自身が素材として面白いとか、話術が巧みとか、人としての雰囲気がいい、という理由もあるのだろうけれど、それだけではないように思う。
相手に対する気配り、サービスなどというと、どうも鈴木健二的にイヤラしくなるが、相手を計算に入れているかどうかというのは結構、大きな分かれ目だと思う。
人というのは交換することがやたらと好きで、またそれを楽しむ動物だ。会話や手紙、あるいは公開する文章というのも交換の一種である。
この「交換」ということを忘れると、ひとりよがりというやつになる。ひとりでよがっちゃうんだから、大変である。
シモに流れて、申し訳ない。
こういうふうに公開を前提に日記を書くということは、自己顕示欲の表れだ。
思いっきり自分の話ばかりだったり、自分の考えの押しつけだったり、知識のひけらかしだったりもするのだが、一応は読む人のことを計算に入れて、書いているつもりだ。
ただし、計算間違いばかりをしているいるところが、私の痛いところである。