物忘れ

 どうも、最近、物忘れが多い。


 たとえば、食器洗いの洗剤と歯磨き粉、ゴミ袋が切れていて、コンビニに買いにいったとする。


 コンビニについたら、「腹が減ったな」と感じて、弁当とお茶かなんぞを買ってくる。
 一応の達成感を持って家に帰り、食器を洗おうとして、「そういえば、洗剤を買いにいったんだった」と思い出す。
 夜、歯を磨く段になって「歯磨き粉も忘れていた」となり、ゴミの日が来て、ようやく「ゴミ袋を忘れていた」と気がつく。


 どうも、抜けている。


 落語にこんな小咄がある。

 店の主人が小僧に、
「おい、ちょっとお使いに行っとくれ」
「へい」
 そそっかしい小僧は用も聞かずに飛び出した。


 しばらく経って、小僧が戻ってきた。
「行って参りました!」
「うむ、ご苦労」


 主人も忘れているのである。


 家の中をうろうろ歩いていて、「あれ、何をしようとしていたんだっけ?」となることは日常茶飯事(にちじょうちゃめしごと)である。


 幼児を忘れることも多いが、凄い変換だな、そうではなくて、用事を忘れることも多いが、言葉を忘れることも多い。


 まず、人の名前がなかなか出てこない。
「えーと、何だったっけな、あの、ここまで出かかっているんだけど……。うーん、もう少しで思い出せそうなんだが、気持ち悪いな。あーんと、何だっけ、おれの名前」
 とまあ、一苦労する。


 人の名前をなかなか覚えられないのは以前からだが、というか、ハナっから覚える気もないのが大きいが、最近は一般的な言葉が出てこないこともある。


 たとえば、「手練手管」なんていう言葉がなかなか出てこない。


 「手練手管」という言葉の意味内容はぼんやりと認識している。
 「これこれこういう状況でこれこれこういう人がこれこれこういうふうにこれこれこういうことをするのを、何と言うんだっけ?」と、脳の中で「これこれこういう」が渦を巻くのである。


 女子中学生のラブレターみたいなものだ。「私の頭の中は、もう、これこれこういうでいっぱいです。これこれこういうのことを考えると、胸が痛くなります。苦しいです」。全然、風情がないが。


 用事にしろ言葉にしろ、後で思い出したり、言われてみればそうだった、となったりするのだから、完全に忘れているわけでもないらしい。
 これは何だろう。古いタンスと一緒で、年をとってくると、だんだん言葉の入った引き出しが開きにくくなるのだろうか。


 実は、今日、こんなことを書いたのも、本当は別のことを日記に書こうと思っていたからだ。
 ところが、何について書こうとしていたのか、さっぱり思い出せないのである。


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