映画の「幕末太陽傳」を見た。川島雄三監督、フランキー堺主演の1957年の喜劇である。幕末の品川遊郭が舞台だ。
DVDを持っていて、時々、見る。酒を飲みながら見ていると、いい心持ちになってくる。
で、昨日もいい気分で見たわけだが、ふと考えたことがあった。
「幕末太陽傳」では、石原裕次郎演じる高杉晋作ら、長州の若い武士達が、英国公使館焼き討ちを行う。
もっとも、観客は火事を遠目に見るだけで、焼き討ちを決行するシーンはない。
これ、当時の不安定な状況に置かれた国内政府と、外国政府に対する、テロ行為そのものである。
焼き討ちに限らず、たとえば、生麦事件などの、いわゆる“異人”殺害事件も、当時の欧米からすれば、まさにテロだったろう。
調べてみると、幕末の外国人殺害事件は、結構、多い。場所はいずれも横浜近辺である。
1859年 フランス人の召使いの中国人、殺害
1859年 ロシア軍人、水夫、殺傷
1860年 オランダ人ウェセル・デフォスら2名殺害
1860年 アメリカ公使館員ヒュースケン、殺害
1862年 イギリス人リチャードソン殺害(いわゆる生麦事件)
1863年 フランス軍人カミュ殺害
1864年 イギリス軍人ボルドウィン、バード殺害(これのみ鎌倉)
1866年 ブランス水兵殺害
他にもまだあるかもしれない。
幕末から150年も経ち、攘夷志士の流れでできた明治政府が紆余曲折はあったにせよ、現在の日本の政府につながっている。
だから、攘夷志士達は、しばしば持ち上げられる。高杉晋作なんて、ヒーロー扱いだ。
しかし、物事はそう一面的には見られないと思う。
幕末の攘夷志士達の危機感や焦燥感は、イラクで頻発するテロ行為の決行者や、先のロシアの学校テロの犯人達にも、どこか共通するものがあったかもしれない。
テロ行為を擁護するつもりはない。
一方で、テロが歴史を動かしたのは事実で、現在の日本がこうなるには、150年前のテロ行為も影響している。
だから、歴史の善悪は単純には言えない。いつの時代のどういう利益・不利益を被っている人が誰・何について語るかや、評する人の立ち位置・気分、さらにはそのときの「空気」にもよる。
テロを非難する、その同じ人が、司馬遼太郎の小説などを読んで、幕末の攘夷志士達を手放しでヒーロー扱いするのは矛盾だと思う。