未来志向への疑問

「未来」という言葉がやたらと幅を利かしておって、おれは天の邪鬼のせいか、疑惑のマナザシで眺めてしまうのである。

 先に書いたように10代の頃はおれのSF時期であって、未来ということに非常に興味を持っていた。20代の頃はパソコンやインターネットが出始めの頃で、実体験できる未来というものが手元に来て、しばしばコーフンした。しかし、30代の頃になると急激に興味を失い、勝手にやっててくれ、お互い死ぬときは別だ」と思うようになった。今も「未来」ということについては割と醒めた目で見ている。

「未来」ということがもてはやされるのは、テクノロジーが進化するということと、価値観や目にするもの耳にするものも変化する(進化なのかどうかはわからない)、社会のあり方もそれにつれて変化する、ということなのだろう。

 自由競争市場では、「新しい」「これまでにない」ということが非常に売りになるから、そういう必要に引っ張られて、人々が「未来」「未来」「未来」と無意識にする込まれているところもあると思う。

 しかし、とおれは思うのだ。現在にだって、あるいは残っている過去のものにだって、とても豊かなもの、面白いものはたくさんあり、それらを味わい尽くせていない。いや、味わっている部分はほんの少しだ、と思うのだ。味わっていないもの、知りもしないことは膨大にある。

 そんななかで、「未来」「未来」「未来」と追いかけるのはちょっと痩せた感じ方なんじゃないかと思うのだ。デブになりつつあるおれとしてはそう言いたい。

ガキの時分の未来を思う

 小学校高学年から中学くらいまで、やたらとSFを読んだ時期があって、今を去ること40年ほど前である。

 おそらく、星新一あたりから入って(童話調のところが子供には入りやすかったのかもしれない)、筒井康隆で腰を抜かし、小松左京の壮大さにロマンを覚え、半村良の歴史とSFの合体にコーフンし、海外ではスタニスワフ・レム、ロバート・ハインラインE・E・スミスアイザック・アシモフフランク・ハーバートH・G・ウェルズ等々、雑食であった。

 そのさらに前をさかのぼると、おそらく子供向けの科学雑誌で「未来の暮らし」みたいなものを見たり、手塚治虫火の鳥を読んだりが、おれのSFというか、未来イメージの原体験になっていると思う。

 それらでは、エアカーとか、ムービングウォークとか、背負式ジェットとか、まあ、そんなような交通手段が未来のものとして想定されていた。実現されたものもあるし、実現されていないものもある。エアカーなんていうのは随分古典的な発想だけれども、いまだにできていない。ドローンが変わって最近ではのしてきた。

 コンピュータはたいたい単体型で、ネットワークという発想はほとんどなかったと思う(ウィリアム・ギブソンが出てくるのは少し後だ)。世界が単体コンピュータに支配される、というのは定番で、一方で、人間に忠実な参謀としてのコンピュータというのもよく描かれた。

 未来人の服装はというと、どういうわけか昔からレオタード的なものがよく描かれた。体にぴちっとくっつくイメージが未来的に思えたのだろうか。

 しかし、とおれは思うのだ。あのレオタード調の服、中年太りの人間について、どう思っていたのだろう。ぽっこりと、しかもいささか重力に対して妥協してきている体型をレオタードで包むと、大変に見苦しい姿になると思うのだが。と、己の体のあちこちを眺めつつ思うのである。

除◯

 ドラッグストアや百均の中を歩くと、「除菌」「抗菌」「殺菌」という言葉にやたらと出くわす。

 なぜ今の世の中に「除菌」「抗菌」「殺菌」という言葉があふれているかというと、もちろん、菌をなくせば安全、病気知らずということもある。一方で、菌というものが一種の不安や恐怖をもたらすせいもあるんじゃないか。ずばっと言うと、菌は肉眼では「見えない」。このことが不安や恐怖をおぼえさせ、消してしまいたくなるのだ。

 そういう意味では、現代の「菌」への不安や恐怖は実は昔からの「霊」への不安や恐怖とよく似ている。霊も普通は目に見えない。しかし、何かしらの働きかけ、しばしばよくない働きかけをしてくる。病気が霊のせいにされたのは、実際には目に見えない菌が病気の元になることを考えれば、実はいい線を行っている。

 ……などと、真面目じみたことを書いておいて、おれがここでやりたいのはもっとくだらないことだ。「除菌」を「除霊」と言い換えるとどうなるか。まずはネットで「除菌」と名のつく商品を拾い集めてみよう。

カビキラー アルコール除菌 キッチン用
次亜塩素酸 空間除菌脱臭機
消臭・除菌スプレー
呉 便座除菌スプレー 15ml
除菌洗剤 除菌クリーナー 5L
除菌剤 20L
78%アルコール製剤_除菌習慣18リットル_エタノール製剤
滝川 除菌エタノール液 80 4000ml

 この中の「除菌」を「除霊」に置換してしまう。テクマクマヤコンテクマクマヤコン、エイッ!

カビキラー アルコール除霊 キッチン用
次亜塩素酸 空間除霊脱臭機
消臭・除霊スプレー
呉 便座除霊スプレー 15ml
除霊洗剤 除菌クリーナー 5L
除霊剤 20L
78%アルコール製剤_除霊習慣18リットル_エタノール製剤
滝川 除霊エタノール液 80 4000ml

 なかなかの迫力である。「アルコール製剤_除霊習慣18リットル」など、ちょっと思いつかない。

 ……などとふざけふやけて書いていたら、何やら体の調子がおかしくなってきた。首がまわらない。肩から背中にかけてが重い。足が痺れてきた。ふりかえると、うわっ!

 

英語の訛り

 おれは英語のヒヤリングについてはほとんど駄目で、英語でペラペラペラペラと喋られると、ペラペラペラペラとしか聞き取れない。

 しかし、映画などでかれこれ40年ほど聞いていると、アメリカ英語、イギリス英語の発音のくせくらいはなんとなくわかるようになった。

 電車に乗っていると日本語のアナウンスに続いて、英語のアナウンスが流れることが多い。この頃、これがどうも気になる。

 おれは東急線をよく使うのだが、英語のアナウンスがアメリカ英語、それもかなり特殊というか、ありていに言うと訛っているように聞こえる。日本語のアナウンスの声と英語のアナウンスの声が同じ女性の声だから、おそらくバイリンガルの日本人(かどうか知らんけど)が英語も喋っているのではなかろうか。

 あれ、英語のネイティブの人が聞いたらどんなふうに感じられるのだろうか。

 もしかしたら「まもなぐ、めぐろにづぎます」とか、「もうすぐ、めぐろやわ」とか、「すぐぐろばい」とか、そんなふうに聞こえるんではなかろうか。

 まあ、英語のネイティブの人といってもいろいろであって、生まれ育ちによって受け取るニュアンスは違うだろう。また、訛りは訛りでこのましくもある。日本のように公共交通機関NHK的「標準」発音で、ということもないのだろうが、それでも英語のネイティブのいろいろな人が日本の英語アナウンスのニュアンスにどんな感覚を覚えているのか、ちょっと興味はわく。

☆大作戦

 頭の中の回路が変なふうにつながっているのか、時々、妙なことを発見する。

 昨日、発見したのは「☆大作戦」とつけると、たいがいのものが勢いよく、かつ軽くなることだ。

 たとえば、

大掃除☆大作戦

 とくれば、何かこう、掃除用具やら洗剤やらをいろいろと買い集めて、一気呵成に片付けなければならない心持ちになる。

 あるいは、

ラッシュアワー☆大作戦

 とくれば、これは鉄道会社だろうか、自治体だろうか、ともあれ、いろいろと手をつくして、都市部の大問題に立ち向かう気分(あくまで気分だけだが)が盛り上がる。

 まわりを見渡して、テキトーに言葉を持ってきてみよう。

耳かき☆大作戦

おーいお茶☆大作戦

置き時計☆大作戦

歯間ブラシ☆大作戦

 ・・・なんだかわからぬが、勢いだけは感じられる。

 しかしまあ、「☆大作戦」だからといって何につけてもいいというわけではない。さすがに、

インパール☆大作戦

 はよろしくない。反省してます。

 

あの世での年齢

 人間というのは年齢によって変わっていくもので、もちろん、見た目もしわくちゃ、白髪、ハゲ、デブ、ヤセ、と変わるが、性格も変わっていく。三つ子の魂百まで、というが、本当に三つ子の魂が百であったら、オーケストラの演奏会で会場の全員が「ウンコ、チッコ、バヒューン!」などと叫びながらそこらじゅうを走り回り、ついでにオーケストラの全員までが「たんたん、たぬきの〜♪」などと唄いながらそこらへんをスキップしてまわるので、これは大変である。

 人間が変わっていくものだとして、おれがいつも気になるのは、あの世に行ったとき、何歳なのか、という問題だ。いや、それは魂なのだから年齢はないのですよ、という意見に対しては、さっきの三つ子の魂問題が出てきて厄介だ。あの世でウンコ、チッコ、バヒューン!、たんたん、たぬきの〜♪ではいかにもまずい。

 では亡くなったときそのままだとそれはそれで問題で、特に高齢化が進んでいる現代ではあの世も年寄りが増えてることになる。ジジババ天国、というのはそれはそれで結構だけれども、若い者が少数派のあの世というのはちょっとさみしい気もする。

 おれにとって身近な問題として、親族の問題がある。おれが今死んだら五十二歳だが、戦争で亡くなった祖父はあの世で三十代でいる。悪いが、おれにとってはワカゾーだ。どう接したらいいのか。

 もっと問題なのは祖父の妻、つまりおれの祖母で、九十何歳で亡くなった。あの世にいる祖父に「あなたの妻ですー」と天寿を全うした祖母が会いに行ったら、祖父としてはどう応対すればいいのか。

 あの世はとかくままならぬ。

巻き戻し

 ある若い人に言わせると、映像装置や音楽装置でなぜ「巻き戻す」というのか、不思議だという。

 なるほど。あれはカセットやVHSなどのテープ類だからこそ「巻く」という表現なのであって、録音録画方面からテープ類がほとんど姿を消した今では理由がわからないかもしれない。

 同じ伝で、もしかすると「フリーダイヤル」のダイヤルというのも若い人にはわからないんではないか。あれは昔の電話機では、電話番号を穴の空いたダイヤルで示していたからなんですね。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Kuroden%28black_telephone%29.jpg

Tomomarusan [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)]

 しかしまあ、この手の言葉というのは案外、残るもので、今ではヨットを別とすれば帆で走る船はほとんどないけれども、相変わらず船出のことを出帆と呼んだりするのであった。

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美少年。